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2016年3月20日 (日)

明治の鶴舞公園(名古屋市)

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2015年1月に名古屋の鶴舞(つるま)公園を訪ねました。
明治42年開園の歴史ある公園で、広い園内には近代の遺産がたくさん残されており、近代の公園好きとしては外せない場所です。
数回に分けて紹介します。

 

なお、写真はとくに注釈のない場合は、2015年1月時のものです。
古い記事となってすみません。

 

鶴舞公園は軸線が強く意識されている公園で、この写真は鶴舞駅前の入口から、ヒマラヤ杉の並木を通って噴水塔に至る中央の軸です。ヒマラヤ杉のうち何本かは、後で紹介する明治43年の関西府県連合共進会の際に植えられたものだそうです。

 

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この中央軸は公園の外にも続いていて、JRの高架に、明治42年の開園時に作られた扁額の復元品が掲げられています。開園時の内閣総理大臣だった桂太郎の筆によります。元々のものは戦時供出されたそうです。

 

さらにこの先、軸を延長すると新堀川(旧精進川)に至るのですが、そこには記念橋が架かっています。
新堀川とは、新堀川を掘るときに出た余った土砂を、鶴舞公園造成に使ったという関係にあります。

 

150125tsurumapark02 ※クリックすると拡大します

 

これが現在の鶴舞公園の配置図です。
噴水塔を中心に放射状に軸が伸びているのが分かります。
大きく分けて、左上が洋風公園、右上が和風公園、下が運動公園になっています。

 

150125tsurumapark03 「第10回関西府県連合共進会会場全図」(愛知県教育委員会『愛知県の近代化遺産』(平成17年)、p331より引用)
※クリックすると拡大します

 

元々鶴舞公園は、第10回関西府県連合共進会の会場として整備されました。
京都の岡崎公園、大阪の天王寺公園(ともに内国勧業博覧会を機に整備)と同じ成り立ちの公園です。

 

関西府県連合共進会は、内国勧業博覧会(万博のといった方が分かりやすいか)の地方版で、明治16年の大阪開催から2〜5年ごとに各府県持ち回りで開催されていました。

 

明治43年の名古屋開催は、名古屋開府300年記念事業として、愛知県は前回の三重県開催から予算規模を4倍に増やすという熱の入れようでした。共進会は入場者236万2748人を集めて大成功し、「名古屋が近代的城下町から近代都市へと発展する契機になったと評価され」ています。

 

多くの施設は仮設でしたが、噴水塔、奏楽堂、貴賓館(聞天閣。戦災で焼失)の3つが永久建築として建設されました。図は左が北なのでご注意下さい。

 

共進会終了後、永久建造物を残して仮設建築を解体し、本多静六博士、鈴木禎次工学士の設計で、公園の再整備が行われました。

 

会場の左側(北側)部分は、明治44年に愛知医学専門学校、愛知病院の敷地として譲られ、現在は名古屋大学医学部・附属病院となっています。また後に八幡山古墳が公園に追加されました。

 

(参考)愛知県教育委員会『愛知県の近代化遺産』(平成17年)
    佐藤昌『日本公園緑地発達史・下巻』(昭和52年)
    名古屋商工会議所HP「第10回関西府県連合共進会」

 

150125tsurumapark08 共進会の絵葉書(著者蔵)。写真が裏焼きだったため、反転。
※クリックすると拡大します

 

ちょうど共進会開催時の絵葉書がありましたので、紹介しておきます。
手前が噴水塔で、当時は側面の小池と背面の大池はありません(大正3年に付加)。

 

左に一部見えているのが会場入口、その奥が展示館の南翼、一番奥に見えるお城は愛知県売店で、右に見える立派な建物は大阪府売店です。

 

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さて現在の噴水塔全景です。
地下鉄鶴舞線の建設工事の際に一度解体されましたが、元通りに復元されました。

 

150125tsurumapark21 ※クリックすると拡大します

 

もう少し近くから。
全体的には西洋古典様式のデザインです。
設計は鈴木禎次・鈴川孫三郎。

 

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中央の噴水塔。
足元には木曽川から運んだ岩が配されていて、ここだけ和風です。

 

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名古屋市章が入った水盤。
カラスの水飲み場に。

 

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噴水塔のステージ上から公園入口を見たところ。

 

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絵葉書より(筆者蔵)。

 

前池の両脇にある塔には、元は照明器具が付いていました。

 

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絵葉書より(筆者蔵)。

 

夜はこのように灯りが灯っていました。

 

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(2016年1月30日撮影)

 

こちらは共進会時のもう一つの記念物、奏楽堂です。
こちらも鈴木禎次の設計。ルネサンス風で、細部にはアールヌーヴォー風のデザインも入っています。
当初は木造だったのですが、昭和9年に室戸台風で大被害を受けて取り壊され、昭和12年にRC造のシンプルなものに建て替えられました。その後、2代目の奏楽堂も取り壊され、現在は平成9年に創建当初の形に復元(ただし柱は鋼柱に)された3代目奏楽堂が建っています。

 

奏楽堂が重要な意味を持つのは日比谷公園と同様で、「当時は公園の奏楽堂で軍楽隊の演奏を聴くことが文化の先端を行く風潮であったと考えられる」(『日本公園緑地発達史』)そうです。

 

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周囲の柵には音符が配されていて、君が代の楽譜になっているそうです。

 

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奏楽堂の脇には、2代目奏楽堂の棟飾りと舞台の縁石を利用したモニュメントが立てられています。
こちらはアールデコですね。

 

Tsurumamap_2 ※2万分の1迅速図「名古屋」(明治24年測図)。この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。
※クリックすると拡大します

 

ところで、少し話を戻して、鶴舞公園がどんな場所に作られたかということも見ておきます。
開園前の敷地は名古屋市街地の外、御器所村です(明治42年名古屋市に編入)。
台地沿いの低湿地で水田や大根畑が広がっていました。
そのため、新堀川の土砂で埋め立てたわけです。

 

公園内にはその時の痕跡もあって、竜ヶ池は潅漑用のため池でした。

 

>もう少し広範囲の地図はこちらをどうぞ
 「今昔マップ on the web」鶴舞公園付近

 

Tsurumapark_t 古写真「愛知医学専門学校及び愛知病院全景」(筆者蔵)
※クリックすると拡大します

 

この古写真は恐らく大正初期のものです。
大正3年に移転してきた愛知県立医学専門学校と附属病院を写した写真ですが、手前に鶴舞公園の竜ヶ池が大きく映り込んでいます。
右の小川から水が流れ込み、左の堰堤で堰き止めているため池の様子がよく分かります。

 

右下にはたぶん護岸用の石、左奥には多くの土管が積まれていて、改修工事進行中の様子が伝わってきます。

 

なお左に映っている浮見堂は、空襲時の爆風で飛ばされましたが、同様のものが再建されています。

 

周辺の下水道が整備されるとともにため池に流入する水が減り、水質が悪化したため、昭和30年には近くのビール工場から冷却水の余り水をパイプで引いて、落差4mの酒勾の滝というものが設けられました。ビール工場が平成12年に閉鎖されたため、今は水を引いていません。

 

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現在の竜ヶ池を北から写したものです。正面に浮見堂が見えます。

 

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浮見堂を近くから。

 

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竜ヶ池に流れ込む水路。

 

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日本庭園には、共進会開催に合わせて作られた池があります。
その一つが胡蝶ヶ池。
鈴菜橋を中心に、蝶が羽を広げたような形をしています。
この写真に写っている南側部分は、終戦後、進駐軍により埋め立てられ、ベビーゴルフ場になっていましたが、昭和30年に復元されました。

 

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また胡蝶ヶ池から出た水は秋の池に注ぎます。
秋の紅葉が美しい樹木を植えた池です。
その後、春の池、夏の池へと水を流す予定でしたが実現していません。
春の池・夏の池は、今の庭球場、公会堂のあたりです。

 

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最後にちょっとユニークなものを。
公園の北東にあるソテツです。
公園開設時に鬼門を抑えるために植えられたらしいです。
江戸時代の残像を感じる、初期の公園らしい設計配慮だなと思います。

 

 

(参考)
 名古屋市みどりの協会HP「鶴舞公園の歴史」  愛知県教育委員会『愛知県の近代化遺産』(平成17年)
 佐藤昌『日本公園緑地発達史・下巻』(昭和52年)

 

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コメント

びんみんさん、本当にお久しぶりです。いつの間にか桜の季節も過ぎたみたいですね。

奏楽堂の写真を見た時、日比谷公園の(小)音楽堂がすぐに浮かびました。あそこにも音符が有ったのかな?父が結婚前、よく同僚と日比谷公園でテニスをしたと言っていたので、半信半疑あるのかな?って調べてみました。「ありました!」想い出を掘り起こしてくれてありがとうございます。

投稿: まあちゃん | 2016年4月 7日 (木) 08:57

まあちゃんさま、こんばんは。
大阪は一応まだ桜は残っています。
日比谷公園の音楽堂の写真を見ましたが、よく似ていますね。エピソードのご紹介ありがとうございます。

投稿: びんみん | 2016年4月10日 (日) 22:29

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