2つの大和高田(奈良県大和高田市)
久々の更新になります。
今回は昨年2014年の8月に訪ねた大和高田を紹介します。
上の地図はまちなかにあった案内板です。
(左が北なのでご注意ください)
今回訪ねて初めて知ったのですが、この地図から分かるように、大和高田というのは2つの街からなっているのですね。中央を流れる高田川をはさんで、東が農業集落で、宿場町・城下町でもあった「本郷」、西が専立寺を中心とする商業集落の「寺内町」です。
今はこの大橋の左のあたりに近鉄大阪線の大和高田駅、上の寺と書いてあるあたりにJRの高田駅、南と書いてあるあたりに近鉄南大阪線の高田市駅があって、中心がいくつもあります。
2つの街を分けていた高田川は蛇行していてたびたび氾濫したため、昭和7年から18年までかかって寺内町の西側に付け替えが行われました。さらに、旧河道は昭和23年に埋立と道路化が行われて現在に至っています。
結果として、大和高田の街は立体的で、いくつもの中心をもつ興味深い構造になっています。
浄土真宗本願寺派の専立寺。寺内町の中心です。
縮小されても広い境内。
近鉄大阪線の大和高田駅側から見ると、寺内町は高台になっています。
大和高田駅から商店街に上がって、専立寺に向かうと、道路を渡ったところに大橋の親柱が残っています。旧高田川は高いところを流れていたんですね。
その先、旧河川の上流側には橋が架かっています。
のぞき込むと下も道路です。
下から見るとこんな感じ。
連絡歩道もあって、複雑な構造をしています。
先ほどの橋にはこんなプレートがはめこまれていました。
「大和高田市民の手で」ということが強調されています。
近鉄南大阪線の高田市駅側から見るとこのようになっています。
右側が旧河道の道路です。
その間、この左の道の方へ、川は流れていたのでしょうか。
細かな高低差があって歩いていて楽しいです。
天神橋の親柱も残っています。
付け替えられた現在の高田川。
高いところを流れていて、向こうの集落の方が低いですね。
寺内町集落の際では、斜面に建物が建っています。
たくさんのつっかえ棒で支えられて、ぎりぎりまで張り出しています。
そんな興味深い大和高田を数回に分けて紹介します。
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コメント
びんみんさん、お久しぶりです!私にとっては馴染みの薄い名前の町なので(一応調べましたが・・・)余計に色々混乱しますが、それにしても最後のつっかえ棒には仰天。建築法とかに引っかからないのかな、と言うのがまず単純に頭に浮かびました。次なる更新を楽しみにしています。
投稿: まあちゃん | 2015年9月11日 (金) 09:29
まあちゃんさま、お久しぶりです。
いつもありがとうございます。
この数のつっかえ棒、びっくりですよね。
一本一本、心許ないようにも見えますし。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: びんみん | 2015年9月13日 (日) 03:09