雲雀丘の洋館群(宝塚市)
宝塚市にある雲雀丘は、阪急宝塚線・雲雀丘花屋敷駅の北側にあり、大正5年から阿部元太郎という人が個人で開発した住宅地だそうです。阿部元太郎は、それ以前に神戸・住吉村の観音林・反高林で土地の分譲をした人とのこと。
雲雀丘では斜面地形を活かした開発が行われました。
今回の記事は下記の論文を参照しました。
<参照>
中嶋節子さん「近代における宝塚市雲雀丘住宅地の開発経緯 とその性格 一阿部元太郎による開発を中心に-」(1998年、大阪市立大学生活科学部紀要)PDF
住宅以外にも開発時の名残があって、その一つが駅前から伸びるシュロ並木です。シュロ並木って珍しい光景ですね。
前回までの記事で旧安田邸、高碕記念館、S邸を紹介しましたが、それ以外に今も残る雲雀丘の洋館群を紹介します。
まず駅の北東にあって一際目を引くT邸。
他の住宅が大きな敷地の庭木の奥に建っているのに対して、このT邸は道に面して建っているのでよく眺められます。大正初期の建築だそうです。
宝塚市では都市景観形成建築物というものを指定していて、全部で20件あるのですが、この建物も含めて多くが雲雀丘にあります。
1階と2階の窓の間に、セセッション風の装飾が使われています。
ステンドグラスも外から見えます。
こちらは和風の住宅の門。
坂を登っていくと、Y邸があります。
左に見える車庫も古いもののようです。
住宅部分を拡大してみました。
M邸は昭和2年、ドイツ人による設計の住宅。
ここから先、洋館が連続していて、他では見ないようなまとまった景観です。
眺望を重視して開発されただけあって、素晴らしい眺めです。
シュロの木もいいアクセントになっています。
こちらはK邸。あめりか屋によって、昭和2年に建てられました。とてもきれいに維持されていますね。
木の格子状の装飾がユニークな別のK邸。
これも昭和2年の建築です。
よく見えないのが残念です。
また別のK邸。大正11年建設です。
よく見えません。
これも見えにくいのですがM邸。
上から見ると見やすいです。
平屋建てのK邸。
赤い屋根が印象的なK邸。
赤い屋根が多いのは、阿部氏が赤い屋根を勧めていたのも理由らしいです。
これらの住宅の中では一番高いところにあるM邸。
昭和10年頃なのでこれらの中では新しい住宅です。
初期の郊外住宅地らしく蔵がありますが、そんなにたくさんあるようには感じられませんでした。
前にも紹介したT邸。
大正11年頃、あめりか屋によって建てられました。
最後にかなり見えにくいですが、T邸。
庭木の向こうにあってよく見えない住宅も多いのですが、逆にそれぞれからの眺めは素晴らしいことと思います。今後もっとオープンガーデンに参加されるお宅が出てこないかなと淡く期待します。
<関連記事>
「雲雀丘花屋敷でオープンガーデン開催中」
「雲雀丘の旧安田邸オープンデー」
「雲雀丘の高碕記念館とS邸」
目次「近代の郊外住宅地と別荘地、社宅」
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コメント
雲雀丘地域は来年開発100年を迎えます。地域まちづくり協議会に雲雀丘100年浪漫委員会を設置し様々な活動を進めています。その中に100年記念誌発行準備を進めています。過去にも「宝塚雲雀丘花屋敷物語」を発刊しましたが、今回は外から見た雲雀丘として外部から見た雲雀丘をと考えています。ご協力いただければ有賀邸のですが・・・・よろしく
熊澤良彦
投稿: 熊澤 良彦 | 2015年9月24日 (木) 10:23
熊澤様、お声がけいただきましてありがとうございます。
雲雀丘は開発100周年になるのですね。100年を迎える住宅地がこういう形で祝われ、評価されることは素晴らしいことと思います。何ができるのか分かりませんが、ご協力できることがありましたら、ご協力いたします。
投稿: びんみん | 2015年9月25日 (金) 01:08