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2013年4月 9日 (火)

海中から現れる阪神パーク跡(西宮市)

Koshienhama
浜甲子園健康住宅地の取材で訪れた甲子園浜。
普段の様子はこんな感じで、所々に不思議なコンクリートのかたまりが点在しています。

 

130330koshienhama1_2 ※クリックすると拡大します

 

ところが、大潮の干潮時には様子が一変。こんなものが姿を現します。
左に見えるコンクリートの固まりが上の写真と同じものなので、見比べてみて下さい。
これは何か? 戦前にこの場所にあった浜甲子園阪神パーク(今のららぽーとの場所に移転するのは戦後)や海水浴場、また戦時中にできた鳴尾飛行場の遺構らしいのです。

 

たまたま、ちょっと歴史っぽい西宮「昭和〜旧阪神パークそして鳴尾飛行場」というブログ記事を読んで、ぜひ見てみたい!と大潮の日を狙って訪ねました。
ブログに非常に詳しく説明されていますので、私は写真だけでいいかなという感じです。

 

130330koshienhama2 ※クリックすると拡大します

 

基礎のようなものがぽんぽんと並んでいます。

 

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何かの四角い枠。

 

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これも四角い箱。

 

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何か丸いものも。

 

130330koshienhama6 ※クリックすると拡大します

 

何がどうなっていたのか、想像をかき立てられます。
とにかくおびただしい数のコンクリート片やら煉瓦やら。

 

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護岸跡がカーブを描いています。

 

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飛行場の滑走路先端部かという舗装面。

 

130330koshienhama9 ※クリックすると拡大します

 

この角度から見ると全景がよく分かります。
手前には水に浸からない護岸が残っています。
その先に水没した護岸が続くのが見えます。

 

Hanshinpark ※クリックすると拡大します
<昭和7年修正測量 仮製版1万分の1地形図「西宮首部」陸地測量部発行をベースに追記>

 

現在の護岸は元あった阪神パークの遺構を半分に割る形で作られています。
阪神パークは、枝川の廃河川跡開発の一環で、昭和4年に甲子園娯楽場としてオープンしました。ちょうど枝川の河口部にあたります。昭和7年に浜甲子園阪神パークとなり、昭和18年に鳴尾飛行場建設のため閉鎖されるまで営業していました。飛行場は敗戦後、米軍に接収されます。
昭和25年には、現在のららぽーと甲子園の所に阪神パークが移転開業します。
私は子どもの頃にここに連れて行ってもらいました。

 

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凜太郎さんのブログに出てくる遊園地のライオン像をぜひ見たいと思って、グーグルマップや写真を手がかりに探しました。難儀しつつ、やっと発見。こんなに海草に覆われています。

 

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近くに落ちている枝や貝殻で掃除してこの状態。
フジツボなどがこびりついていて、思った以上に大変です。
掃除道具やバケツがないときれいに洗えません。

 

130330koshienhama12 ※クリックすると拡大します

 

この赤丸の場所にライオン像があります。
遠目には分からないでしょう?
掃除後なのでまだ分かりますが。

 

130330koshienhama13
逆にライオン像側から見ると、こういう位置関係です。

 

130330koshienhama14
帰りにもう一つの滑走路先端部の方も確認してきました。

 

大潮の日の干潮時しかみられない(実際には大潮でなくても良いのかもですが)というのはイベント性があってとても面白いと思います。
整備してほしいような、このままでいいような、そんな遺構です。

 


より大きな地図で 西宮 を表示 空中写真で見るとうっすらと輪郭が浮かんでいます。

 

<関連記事>
 「浜甲子園経営地あたり」  目次「近代の郊外住宅地と別荘地、社宅」

 「浜甲子園健康住宅地(1)案内所のあたり」
 「浜甲子園健康住宅地(2)1丁目の住宅」
 「浜甲子園健康住宅地(3)2丁目の建物」
 「浜甲子園健康住宅地(4)3丁目の住宅」

 「海中から現れる阪神パーク跡」
 「旧鳴尾競馬場スタンド」
 「南甲子園のアールデコな塀」

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コメント

こんにちはびんみんさん。
こんなもんがあるんですか。びっくりです。
しかしながら、ちゃんと後片付けせんとそのままや〜めたって感じが不思議というか無責任というか。
とか思いましたけど、戦時中でそんなこと言うてられんなんだんでしょうね。
おもろいもん見せてもらいました。

投稿: 山本龍造 | 2013年4月 9日 (火) 09:00

 海のエジプト展~海底から甦る古代都市アレクサンドリア遺跡みたい…

投稿: 難波のやっちゃん | 2013年4月 9日 (火) 19:58

山本龍造さん、こんばんは。
ほんとびっくりしますよ。
取りあえず障害物を取っ払ったという感じでしょうか。
それがいまだに残っているというのも面白いなと思います。

投稿: びんみん | 2013年4月10日 (水) 00:59

難波のやっちゃんさま、こんばんは。
なるほど、そういうイメージですか。海中遺跡。
発掘したらもうちょっと出てこないかな、とも思います。

投稿: びんみん | 2013年4月10日 (水) 01:00

  小生が中高生の頃は地盤沈下で大潮でも、滑走路が出る程度でした。

 こんな「遺跡」が眠っていたとは・・・。

 因みに、競馬場の跡は探検しました。

 野良犬の巣窟でした。

 いやぁ~、懐かしい。

 実家に帰った時にでも訪れてみようと思います。

投稿: 戦後派 | 2013年4月10日 (水) 09:45

戦後派さま、コメントありがとうございます。
滑走路の方が覚えがありますか。
またご覧になってみてください。
競馬場の跡ということは、米軍キャンプの跡ですよね。
探検というにふさわしい場所だと思います。

投稿: びんみん | 2013年4月11日 (木) 01:46

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