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2013年2月 6日 (水)

上甲子園経営地を歩く(西宮市)

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以前、西宮市の近代の住宅地である甲子園住宅地の境目を歩いたことがあります。
そのうちちゃんと歩こうと思いながら5年が過ぎ、久しぶりに甲子園住宅地を歩きました。何回かに分けて紹介します。今回もJRの甲子園口駅からのスタートです。

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駅前の商店街に気になる建物がありました。
古いタイルが使われていますし、2階の窓の桟は木製ですので、ぱっと見た感じより古い建物ではないかと思います。

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さて、まずは武庫川の堤防にたどりつきました。
向こうに見えるのはJRの鉄橋です。
このあたりから分かれて、枝川が流れていました。

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<甲子園開発後の状況。明治20年頃の2万分の1地図をベースに作成>
※クリックすると拡大します

前に作った地図に追記しました。
以前の記事で説明したように、武庫川の支流である枝川を締め切ってできた土地に、阪神電鉄が住宅地や娯楽場を開発しました。

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奥が下がっているのが分かりますでしょうか。
かつての川(堤防)の痕跡は今も確認できます。
昭和5年に開発された上甲子園経営地がここから始まっています。
堤防にあった松林は住宅地に活かされたそうです。

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古そうな住宅を確認しました。
残念ながら経営地の西外側です。

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これも外側ですが、松山大学・温山記念会館です。
もとは大阪でベルト工業(現ニッタ(株))を営んでいた新田長次郎(温山)翁が、娘婿の建築家・木子七郎に依頼し、昭和3年、嫡孫利国氏のために建てた住宅だそうです。
なぜ西宮なのに松山大学かというと、松山高等商業学校(松山大学)は新田長次郎翁が故郷の松山に設立した学校で、故新田利国氏夫人から平成元年に邸宅が寄贈されたためです。
立派な門があります。

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スパニッシュの広い邸宅です。
時々ツアーコースに組み込まれていますが、まだ中に入ったことはありません。

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勝手口横の建物も古そうです。

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ある程度古いようですが、戦前とまでは断定しづらい建物が多いです。

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再び武庫川の堤防に近寄ると、水路跡がありました。

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枝川樋門の文字に、大正12年の文字が見えます。
武庫川の支流だった枝川が締め切られた後も、枝川の樋門から水が取り込まれていました。

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階段状の水門。これも昔のデザインに見えます。
柵を越えて見に行きたかったのですが、それはやめておきました。

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水路は二手に分かれて、一方は住宅地の中に入っていきます。
橋の跡が残っていました。

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枝川樋門に隣接して、甲子園配水所と鳴尾浄水場があります。
水源は井戸です。

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隣には武庫川女子大学・甲子園会館、旧甲子園ホテルがあります。
旧甲子園ホテルは、以前見学に来ました。

「陰影ゆたかな旧甲子園ホテル」2008.12

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<昭和7年修正 1万分の1地図「尼崎西部」>
※クリックすると拡大します

昭和7年の地図には、昭和5年にできたばかりの甲子園ホテルが描かれています。
この地図で見るとホテルは、枝川の堤防に乗せる形で建てられたのですね。

枝川樋門に隣接して配水池が見えます

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甲子園会館の向かいに古い住宅がありました。

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また甲子園会館前の道をそのまま行くと、木立に隠れたN家住宅があります。

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門のカーブや豆タイル、角に取られた木製建具の窓などがモダンデザインを感じさせます。

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丸窓もついています。

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家型の門灯付き門柱がありました。
甲子園住宅地では他でもこのタイプの門柱が見られます。

上甲子園経営地内では、もしかしてというのはあっても、明らかに近代の住宅というのはあまり見つけられませんでした。それでも近代を感じさせるデザインはところどころで確認できました。


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コメント

 昭和30年代の商店街(甲子園口駅~上甲子園)は大変繁華で三軒の映画館があり、よくエスケープして観に行きました(汗)。

新田邸は豪壮で素敵な洋館でしたね。
枝川樋門から甲子園ホテル周辺は恰好の犬の散歩コースでした。
ホテルは小さいとき米軍が接収しており、大蔵省管理になってからは生垣の破れ目から侵入して遊びました(笑)。

新堀川の豪邸も徐々に集合住宅に変わってきています。

投稿: 難波のやっちゃん | 2013年2月27日 (水) 11:00

難波のやっちゃんさま、こんばんは。
この商店街、3軒も映画館がありましたか。
多くの町にあった普通の映画館が希少なものになってしまって寂しい限りです。
なかなかやんちゃなエピソードの数々で(笑)
全体に建て替えが進んでいますね。

投稿: びんみん | 2013年2月28日 (木) 01:34

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