つくばの向こう
今年の夏、初めてつくばを訪ねました。
つくば科学万博(1985年)はリアルタイムに知っていますが、その時も出かけてはいません。
筑波研究学園都市は計画都市です。
上のオレンジ色の道は歩行者専用道路。
歩行者デッキが総延長48kmもあるそうです。
公園も多いですね。
普段の探訪とは別な意味で興味がありました。
昼間につくばエクスプレスに乗ると、関西人の私には雄大としか思えない、ゆったりした川と田畑、丘陵を渡ってつくばにたどり着くのですが、着いた日は夜中だったので分かりません。
デイズタウンつくばというショッピングセンターを通りがかると24時間営業の西友に加えて、居酒屋が何軒も営業しているのが目を引きました。それもベタな焼き鳥とかばかり。この場では逆にそういうものが求められるのかなと思いました。
このショッピングセンターは、つくば科学万博の年、ダイエー筑波学園店としてオープンしたそうです。
昼間に歩くとさすがに都市計画が行き届いています。
前方に見えるのが歩行者専用道路で、歩道や自転車道も十分な広さです。
そして並木の緑の豊かなこと。
団地の一つ。
ちょっと寂しげでした。
公園はかなり広く取られています。
あまり人はいません。
なんと贅沢な空間の使い方と思います。
見事に育っています。
ロボットが通りますから気を付けて下さいという看板。
研究学園都市ならでは。
それでも歩いていると、こんな敷地があって、もともとあって取り込まれた方の家なのではと思います。
団地に対する空き地の広いこと。
緑豊かで広々としていいのですが、でもなんとなく、この計画都市の向こう側を見てみたくなって、手近な端まで歩いてみました。
端まで来ると丘を下って、小川を越え、その向こうに広がる田園。
遠くに筑波山が見えます。
キャベツ畑と果樹園と。
地図に神社のマークがあったので、そこを目標にしました。
木立に隠れた神社です。
妻木神社といいます。
昭和45年に諏訪神社、鹿島神社、天神社の合併によりできた神社です。
つくば研究学園都市の建設が契機になっているのですが、「永年の懸案であった三社の合併が進展し」というのはどういう意味だろうと思います。
参道はこの土の道で、ほとんど杉木立の中に鎮まっています。静か。
再び農業用水路を越えて、計画都市に戻ります。
左に見えるのがつくば研究学園都市、右が旧集落です。
その間の連絡道路というのはあまりありません。
戻って駅に向かって歩いていると、公園の片隅に小さな祠がありました。
吾妻神社というそうです。
説明によるとこの公園の東に小高い丘があり、そのてっぺんに吾妻神社がありました。
開発に伴って移されたようです。
自然豊かだったこの地は、別の意味で豊かな公園などが整備されています。
とても計画的な都市のようであっても、以前から取り込まれてるものがあって、丁寧に歩けばもっと面白いものがあるのかもしれません。
なお、地域の変遷については、日本地図センターから「地図で見るつくば市の変遷」という地図集が出ています。
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コメント
めっさ懐かしい景色をありがとうございます!
ご存知のように、つくば博でリアルにバイトしてましたー
来場してくださったら、お会いできていたかもしれないのに、残念です(笑)
つくば博の頃は、町なか全体がもっと無機質で緑の薄い道路も多かったように記憶しています(たぶんまだ街路樹が育っていなかった?)
でも、道を一本入るといきなり従来のド田舎のままになってたりして、不思議な空間でした。
その当時、外部から研究などのために学園都市にいらした方の自殺率が高すぎることが話題になっていて、計画されすぎた都市は人間には合わないのではないか?などと言われていたことも思い出しました。
今は自殺率が高いなんて話は聞かないですよね。
あれはいったいなんだったんでしょう。
投稿: KYO | 2012年12月 6日 (木) 09:11
KYOさん、こんばんは。
そういえばそんな話も。
自殺率の話は私も聞いたことがあります。
やはり新しい靴で靴擦れになるように、計画的に立ち上げた町はあちこちでひずみがあったりしたのかなとも思います。
しかし、街路樹は成長していい環境になりましたし、住民も組織も適応していったのではないでしょうか。
街のあちこちでベタな居酒屋を見ましたが、それもバランス感覚なのかなと感じました。
勝手なことを言っていますが。
投稿: びんみん | 2012年12月 7日 (金) 01:07