高槻の京大農場
阪急高槻駅の東、阪急とJRにはさまれて、京都大学の農場があります(正式名称は京都大学大学院農学研究科附属農場)。
「十三のいま昔を歩こう」の記事を見て、移転計画もあると知り、機会あれば行ってみたいと思っていました。内容が重なりますが、紹介します。
農場は、昭和3年に摂津農場として付設され、昭和36年から本農場となったそうです。
建物は昭和3年から6年にかけて建設されたものが残っています。
農場の広さは15万平米の広大なもの。地下には、建設工事の際に発見された、弥生時代の安満(あま)遺跡が埋まっています。
(『大阪府の近代化遺産』、p217-218参照。以下もです)
表門から見るとメインの通りが本館までまっすぐ伸びています。
立派な表門は開設当初からのもの。
構内は農作業者、農耕車が優先です。
おそらくあまりに敷地が広くて地域を分断することから、縦の通路は地域に開放しているのでしょう。結構、車や自転車が通っています。
通路の途中から西方向。
農場の田圃、そして温室です。
農場の建物は敷地の北寄りに固まっています。
中央が本館で、右が別館。
道はその間を縫って抜けています。
本館は昭和5年の建築です。
どこかの山荘に来たみたい。
設計者は京都帝国大学の営繕課で、不明確ながら当時営繕課長だった大倉三郎ではないかとのこと。
大倉三郎は生駒時計店にも関わっているそうですが、ほぼ同時期ですね。
玄関持ち送りには南洋風の彫刻。
当時は日本の南方進出もあり、南洋植物の栽培研究も重要なテーマだったのかもしれません。
腰までは石が貼られていて、スクラッチタイルの帯が回してあります。
ガラス越しに中も覗いてみました。
木製の階段が残っています。
本館の向かいに建つ農場研究室。
本館の西には、平屋の蔬菜選別室が建っています。
ここから先は進めないのですが、炊事室、加工室、倉庫、農機具舎、肥料庫、水田バラック、蔬菜部堆肥舎などがあるそうです。
そして、本館の東側には昭和6年建設の別館。
ここは間近に見ることができます。
その先は道がカーブしています。
左手に果樹園が広がっていました。
簡単な裏門があって、外の水田へと続いています。
敷地の外側に沿って歩いてみました。
使われてなさそうですが、他にも門があります。
敷地の東北隅から。
外の農地とははっきり分かれていて、境界にはキョウチクトウが植えられていました。
逆に南西側から見たところ。
こちら側は柵が低くてオープンです。遠くに見えるのが本館です。
敷地の南西隅には職員宿舎がありました。
京大農場の移転に関する最新の状況としては、
2012年7月30日に、学研都市の城山台に2016年春に移転するという基本協定の発表があったようですね。
>京都大学「大学院農学研究科附属農場の移転について」
高槻市「安満遺跡芝生公園等の整備について」
構想を見ると、農場跡地は遺跡公園と防災公園になるようです。
気になる建物の部分は遺跡公園のエリアで、展示館などに活用されることを期待したいと思います。
以前、京都新聞の2012年2月28日付け記事に、京大が「現農場では、遺跡のために老朽化した建物の建て替えができない」という気になるコメントをしています。
ほんとは建て替えたいところ、地下に遺跡があるために建て替えられずに残っていたのですね。
さらに史跡公園として建物が残るとしたら、不思議な運命を感じます。
今後8月〜10月にかけて市民アンケート調査、冬には市民ワークショップがあるそうなので、市民の皆さん、この建物も活用していただけるよう、ぜひよろしくお願いします^^
<関連ブログ>
十三のいま昔を歩こう「京都大学大学院農学研究科附属農場」
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