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2012年8月27日 (月)

北の玄関・伏木港(4)港の風景

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前に書きましたが、伏木を訪ねたのは大陸への窓口だった伏木港の名残を求めるためです。
海側を埋め立てて新たな岸壁ができたこともあると思いますが、今はちょっとさびしく思える岸壁です。

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※クリックすると拡大します。

北前船資料館に、昭和11年の伏木港の様子が分かる地図が展示されていました。
上が小矢部川左岸にある伏木の町で、下が右岸の六渡寺という町です(訪ねたので連載の最後に紹介します)。両岸合わせて伏木港ということで、むしろ対岸の方がたくさんの船が着いたようですね。旅客は伏木側かと思いますが。

これに合わせて「伏木港の特長」という説明文も展示されていました。
水深の深い良港であること、軍事的な優位性がPRされています。
当時の雰囲気を知る上で興味深いので全文掲げますが、興味のない方は読み飛ばして下さい。


伏木港の特長

一、港内水深く○も静穏にして四時安んじて荷役
  を為し得るの特色あり。即ち河口水深平均3
  0尺(9m)、優に1万トン級船舶の出入及
  び接岸荷役可能なるのみならず、一時に1千
  トンないし6千トン級の船舶19隻の接岸荷
  役を為し得る。
  本港において昭和6年外国船「アジア」号1
  万トン級の接岸荷役を為し得たる実例あり。

二、本港は能登半島の障囲あり。かつ小矢部川の
  河口港にして外港、俗称「藍がめ」の深海に
  連なり、巨船の出入り極めて便なり。

三、本港には日本鋼管、佐賀造船所、吉村造船所、
  日産化学工業、北海電化、北海曹達、レーヨ
  ン曹達、王子製紙、伏木板紙、樺太木材紙料、
  日本曹達、日本高周波重工業、鉄工所、鋳造
  所等多数の大工場有り。軍事的にこれを見る
  も頗る重要なる地位にあり。

四、本港の最近接地には水面165万平方米の放
  生津潟(水上飛行発着可能)と面積26万5
  千平方米の陸上飛行場(倉垣飛行場)あり。
  この点よりするも本港は軍事上重要なり。

五、本港の両岸には臨港鉄道、省線、伏木、新湊、
  中伏木、吉久の4駅あり。船車連絡に頗る便
  なるのみならず、その南部には高岡市、右岸
  に新湊町を控え、大部隊の宿営輸送に至大の
  便益を有す。

六、本県は本邦有数の水電圏(?)にして臨港工
  場に豊富かつ低廉なる電気を供給し得る外、
  本港の補助港として近接地に港内50万平方
  米を有する東岩瀬の良港を有す。

七、本港の付近には暗礁なく、夜間の航行自由な
  ると干満の差、極めて少なく、平均僅かに4
  3センチなり。

八、本港出入貨物トン数は遙かに敦賀を凌駕し、
  新潟と伯仲し、なかんずく対満(州)、対
  (朝)鮮貿易において最優位を獲得しつつあ
  り。

九、大正9年高田師団を「シベリヤ」派遣の際、
  新潟より乗船の計画なりしも港口水深不足の
  ため、○に予定を変更し、7千トン級の東郷
  丸ほか数隻を本港に回航し、輸送を完了した
  る事実あり。


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。
  またカタカナもひらがなにしています。

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伏木駅から港に向かって貨物線が伸びています。
背中側が海です。

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1本の線路がまだ残されていました。

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突き当たりに日中友好之碑が建っています。
日中平和友好条約の締結を記念し、戦時中の港湾荷役作業で亡くなった17人の中国人の慰霊として1979年に建てられたものです。

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港にある県営左岸2号上屋。
建物は戦後かもしれませんが、戦前からこの場所に上屋がありました。

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岸壁は広々としています。

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曇り空の下だとさびしい感じがします。

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岸壁の先の方。右は県営左岸4号上屋です。

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港にある派出所。
港を見渡すためか、3階建てになっています。

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貨物線に面して、昔ながらの土蔵造りの建物が残っています。

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こちらは2階の窓が面白いでしょう?

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看板には伏木米穀株式会社と書かれています。

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これになると全く蔵のようですね。

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窓から覗いてみると昔のカウンターらしきものがまだ残っているようです。

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少し陸側に入ったところに、古そうな建物がありました。
木製の桟やコンクリート表面に施されて模様など凝っています。

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玄関にかかっていた看板には、読みにくいですが、「日本興油興業株式会社(現在の日清オイリオ)脱脂大豆 植物油粕」などと書かれていますので、肥料を商っていたのでしょう。

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もっと駅よりの棚田家の並びにも古い建物があります。
地図で見ると金物屋さんだったようです。

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植物風の面白い換気口面格子がはまっていました。

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窓の格子や持ち送りなどもモダンです。
全体に洋風の要素が入るのは外国との取引があったためでしょうか。

次回紹介する旧伏木銀行など、一部は観光の対象としてマップに載っていますが、このようにひっそりと残る建物も多く、港の賑わいを伝えています。


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<関連記事>
 ○2012富山旅行の記事の目次
 北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅
 (2)北前船資料館
 (3)伏木気象資料館
 (4)港の風景
 (5)メインストリート
 (6)看板建築など
 (7)工場建築
 (8)気になるもの
 (9)六渡寺へ(完)

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コメント

 びんみんさん、お久しぶりです!相変わらずの暑さのようですが、こちらも昨日は一人で「あづい、あづい」って訛っていました。窓は明けて風通し良くしているのに、熱気のほうが勝っていました。そんな中よせば良いのに一昨日自衛艦「しもきた」8,900トンが入港していて、遠回りして対岸まで徒歩で行き惚れ惚れと見とれていました(さすがに敬礼はしませんでしたが・・・)帰ってきて何やら大きな音がするのでベランダに出ると、ホバークラフトが太平洋上から「しもきた」に向かって物凄い飛沫と音でやってきました。そして船尾に入って行きました。映画でしか見たことない風景でした。

 話がそれてしまいすみません。伏木港の旅を見ていて、はるか遠くの港でその当時7,000トン級の船が出入りしていたとは驚きです。お天気の加減もあるでしょうが、歴史と共になんだか物悲しさがにじみ出ていると感じるのは私だけでしょうか?

 明日から9月ですね。こちらのこの暑さもどきからすぐに秋風が吹くのは間違いなしです。どうかお元気で!次はどちらでしょうか?

投稿: まあちゃん | 2012年8月31日 (金) 10:14

まあちゃんさま、お久しぶりです。
釧路でも暑いときは暑いのですね。
釧路も大きな港町で、船を見ることも多いでしょうか。
実際の船を見ているとトン数が実感できますね。
伏木港の物悲しさは私も感じました。
伏木の話はもう少し続きます。

投稿: びんみん | 2012年9月 2日 (日) 20:08

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