高岡・山町筋の近代建築など
高岡の探訪時間は1時間余りしかないということで、土蔵造りの町並みで知られている(らしい)山町筋まで行って戻ることにしました。駅からは徒歩10分ですが、今は駅ビル工事中なのでもう少しかかります。
駅からとっとこ坂を下りていき、「高岡」だなあと実感。
山町筋に到着しました。(途中見たものは次回に)
この道は当時の国道・旧北陸道で、大きな商家が軒を連ねています。
山町とは、祭に使われる「高岡御車山」(山鉾のようなもの)を所有・継承する10町で、そこを通るので山町筋と呼ばれています。
明治33年(1900年)に高岡の大火があり、その後、土蔵造りの建物が多く建てられました。
○山町筋については
→高岡市教育委員会「山町筋の紹介」 ○高岡御車山については
→高岡御車山保存会公式サイト
土蔵のように漆喰で厚く塗り込められた建物で、建物と建物の間に防火壁としてレンガの壁が立っています。
こちらは山町筋から折れたところにある大きな商家です。
同じレンガの防火壁といっても赤煉瓦と黒煉瓦の組み合わせが様々です。
こちらの場合は赤煉瓦でポイントに石。
鮮やかなツートン。
目地の白もまぶしい。
こちらは花崗岩の柱。
通りの中ほどに、主のように大きな赤煉瓦建築が立っています。旧高岡共立銀行本店として、大正3年に建てられました。今は富山銀行本店。では高岡共立銀行が後の富山銀行なのかというと、後身は北陸銀行らしい。いずれにしても当時の高岡の経済力を示しているようです。
この写真を見せると大阪の人は「大阪市中央公会堂みたい」と口を揃えていましたが、共通点として設計に辰野金吾が関わっています。
その銀行から向かいを見ると、奥に見える下見板の建物が気になります。
近代建築好きはたいがいそういうパターンらしい(笑)
表に回ると「塚本小児科医院」と書かれています。
大正4年築との情報あり。
下見板張りで木製建具の窓。
右に張り出している建物には、「X光線室」のプレートがはまっています。
右から書いているのでもちろん戦前からでしょう。
外にPRしているみたいですね。
あと面白いのが門柱の上の飾り瓦。
波乗りうさぎです。
こちらはたぶん宝珠。
しかし、これは普通に屋根に乗せる瓦ですよね。
下ろされてきたのでしょうか。
再び山町筋に戻ります。
外観が非常にインパクトのあるこの建物は、井波屋仏壇店(旧林屋茶舗)です。
明治38年(1905年)築らしい。
ディテールが非常に細かい細工ですね。
さらに進むと交差点の左右に近代建築があり、相呼応しているようです。
左は看板建築的な塩崎商衡(株)。明治40年(1907年)築です。
右は大野屋菓子舗で、これも明治40年(1907年)です。
火事で焼けたことによって統一的な町並みができたわけで、財力があったからでもあり、貴重な町並みになっています。
※なお、ここにプロットしてあるのは、私が気になった建物だけで、これ以外にも近代建築はたくさんあります。
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