代わりにできた住之江公園(大阪市住之江区)
以前から気になっていた住之江公園に出かけました。
便利なのは地下鉄・四つ橋線の住之江公園駅です。
ここから見える森は大阪護国神社で、住之江公園ではありません。
昭和15年にできた神社です。
玉垣と一体化した燈籠が面白い。
住之江公園駅から歩くと、公園の裏口から入る感覚です。
入ってすぐ児童遊戯場があります。
※クリックすると拡大します。
<大屋霊城『公園と運動場』口絵、昭和5年(佐藤昌『日本公園緑地発達史(下)』、p407所収の図)>
この住之江公園、住吉公園と深い関係があります。
なぜかというと、大正時代に住吉公園の西側を国道が横断することになって、運動場が廃止され、その代償として造られたのが住之江公園だからです。
設計したのは著名な公園設計者の大屋霊城。
大正15年に用地買収完了、昭和2年に着工して昭和5年に完成し、工費25万円のうち21万円は阪堺電鉄(6万円)と南海鉄道(15万円、南海電鉄)が寄付したそうです。
(→阪堺電鉄というのは、当時芦原橋と浜寺を結んでいた鉄道、新阪堺のことでしょうか)
昭和7年に北尾鐐之助は『近代大阪』の中で、
「まだ多くの人に知られていないけれど、昭和五年の暮れに七十万円を投じて出来上がった、総面積四万三千坪の住之江公園=大阪の公園として珍しく立派なプレー・フィールドを持っている」(p371)と書いています。(仮名遣いを現代風に改めました)
(工費が食い違いますが)当初から野球場がありました。
図面を見ると陸上競技場、テニスコートもあるようです。
横倒しで見にくいですが、現在の公園案内図と比較しても、公園の園路、野球場の位置、池の形など、あまり変わっていないことが分かりますでしょう。
児童遊戯場のあたりは戦後の1948年〜1964年、競輪場になっていたそうですが。
公園西側の園路は、木々が育っていい散歩道になっています。
現在の野球場です。
昔からある池を西側から。広い池です。
ご近所の方の話では、昔はもっと深かったそうです。
池中の小島も当初の図面に記載されています。
島には小さな小屋風のものが置いてあります。
池の中でも見どころはこの太鼓橋です。
多少アールデコっぽいデザインですので、当初からあるものではないでしょうか。
欄干の穴が砲弾型です。
また池の北の端にはテラスがあります。
もっちりした欄干がついていて、これも古そうなデザインです。
ここに「住之江公園」のプレートがはまっていたかとも思えますが、残っていません。
こちらの方が正面玄関の趣があります。
大池と野球場を眺められるテラスです。
「大阪府営公園デジタルアーカイブス」に昭和8年頃の住之江公園の写真が載っていて、園路の東側にも同様のテラスがあったようです。今はありませんが。
大池の源流部の石組み。
一番源流になる場所の近くにこんなものがありました。
小さいながら、水飲み場ではないでしょうか。
源流部に水飲み場を配するのは一つのパターン?
公園の北入口を出てすぐ、細井川を渡る寄波橋があります。
これも古そうです。
今は人工的な細井川。
上流にたどっていくと、住吉公園、住吉大社に至ります。
ところで公園東口にはこんな面白いものもあります。
ポプラの木が横たわり、スチールのベンチがあります。
実は「きのむかうところ」という伊原セイチさんの作品です。
公園内に昔からあったポプラの木が危険木として切り倒された際、通常は処分されてしまうのですが、そのまま作品化されたそうです。
おおさかカンヴァス推進事業の一つなのですね。
昭和初期からの歴史がある住之江公園。
意外と古そうなデザインが残っていて楽しめました。
(関連記事)
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