駆け足で岸和田の近代建築
以前、岸和田に用事があって出かけたときに、ついでに近代建築の写真などを撮っていました。どんな記事にしようかと思ううちに古くなりそうでしたので、駆け足で紹介します。
まず南海本線・岸和田駅の駅前。
西田クリニックさん(大正5年)が明るく迎えてくれます。
お隣の建物も、「続きを描いた」感じが面白い。
※追記
西田クリニックは、2018年12月に解体されたとのことです。愛知のSさん、情報ありがとうございます。
(2018.12.23記)
※建設年・旧名称などは基本的に『大阪府近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』(2007年)に従います。
駅前の商店街に入ります。
そこには近畿大阪銀行岸和田支店があります。
交野無尽金融(株)岸和田支店(昭和4年以降)なのだとか。
脇の城見橋筋商店街に入るとアーケードもぐっとレトロ感が増します。
先が見通せない魅惑の路地。
アーケードの端に平井皮膚科(昭和15年以前)?
右上の飾りが近代建築らしい意匠です。
元は窓?
看板が消されていて、どうも医院はされていないようです。
その近くに焦げ茶の下見板張りのお店があります。
白いペンキ塗りもいいですが、この色合いも好きです。
再び駅前の商店街に戻ります。
アーケードが切れた先に寿屋さん(大正期)があります。
蔵のような造りにさらに洋風でがっちり固めています。
人形屋さんなのですが、面白いのが陶器の人形を埋め込んでいるところ。
高砂の老夫婦のようです。
残念ながら熊手と箒は失われています。
三角の土地に建つ三角の建物。
五軒家町のアリラン亭です。
看板建築風で、ひょこっと飾りが頭を出しています。
歩いて行くと旧紀州街道にぶつかります。
昔のメインストリートだけあって、立派な建物が並びます。
こちらはC.T.L.Bankで、旧和泉銀行本店(昭和8年)。
岸和田中央会館(昭和10年)は、商店街の事務所として使われています。
旧岸和田貯蓄銀行とも。
成協信用組合岸和田支店。すごく見にくい写真ですみません。
旧四十三銀行岸和田支店(大正9年)です。
和歌山を拠点としていた銀行らしいです。
この先に街道は続くのですが、この日はパスしました。
これも近くから撮りすぎて見にくいのですが、池田泉州銀行泉州営業部。
旧泉州銀行本店です。昭和34年の戦後建築ですが、村野藤吾なのでついでに紹介しました。
岸和田はほんとに銀行が多かったのですね。
その先にある小さな橋は昭和17年の架設で、少しモダンデザインが入っています。
とりあえずの目的地は、自泉会館(昭和7年)です。
元岸和田市長で元南海鉄道社長の寺田甚吉氏が、岸和田紡績の創始者である父・寺田甚与茂の偉業を記念して建てたもので、当初は岸和田紡績などの社交場として使われたそうです。設計は渡辺節。岸和田産業界のシンボルという感じですね。早くも昭和18年に岸和田市に寄贈されています。
残念ながらこの日は閉まっていました。
表に壁泉があります。
自泉と何か関係ありますでしょうか。
帰りは(これまでの紹介も実際の順番ではないのですが)、ところどころ裏道もたどりながら歩きました。すると筋海町の細い道にこの建物が。
少し傷んではいますが、素晴らしい建物ですね。
大正期に建って移築されたというT家住宅です。
豆タイルの玄関柱もすばらしい。
※追記
残念ながら、2015年3月〜2017年2月の間に解体されたようです。グーグルストリートビューで確認。
(2018.12.23記)
筋海町にはまだ他にも近代建築が集まっているようですし、他のエリアももう少しじっくり歩いてみたいと思います。
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