座談会「東日本の町と建物たち−地震前と後−」を聴きに行きました
4月7日(土)、大阪港のカフェ「ハaハaハa」奥展示室で開催されていた「まちかどの近代建築写真展」の最終日、撤収のお手伝いとともに、座談会「東日本の町と建物たち−地震前と後−」を聴きに行きました。
今回はいつも東京から来ていただく岡崎さん、前村さんに加えて、実際に福島県の文化財の被害状況の調査にあたられた田代さん、関東で調査されたTさんにお越しいただいて調査経過をお話いただく機会に恵まれました。
まず最初にどういう趣旨で調査が行われたのかということと、県ごと、建物の種別(木造、土蔵造、石造、鉄筋コンクリート造)ごとの被害状況と修理についてご報告いただきました。
文化財ドクター派遣事業という形で派遣されたそうです。
岩手・宮城での甚大な被害は言うまでもないのですが、秋田では雪の重みと地震とが重なって被害が出てしまった話も出ていました。振動周期の影響も考えられるものの、木造に比べて土蔵・石造などの被害が大きかったようです。
印象的だったのは、歴史の長い木造軸組工法の建物に比べて、土蔵造は「たかだか300〜400年の新しい技術」という人もいるので・・・という話。時間感覚の長さを感じました。大地震の起こる頻度に比べて、火災は頻繁に起こっていましたし、台風もあるので、どこかで割り切らないといけないのかもしれません。地震の際に瓦がずり落ちる構造は建物の倒壊をしにくくする効果があるが、軒下にいる人に被害ができるかもしれない、など。
木造にしても土蔵にしても作った人は修復もできる、土壁は素人でも教えてもらえば直せるが、鉄筋コンクリート造の建物は作った人が直せるとは限らないという話もありました。
判断できる知識のある人に見てもらえるかどうかが、建物の運命を左右してしまうようです。
この日に発表いただいた主な内容については、
「日本建築学会 建築歴史・意匠委員会 災害特別調査研究WG」のページで見ることができます。
後半は前村さんが地震の前と後に歩いた気仙沼、宮古、釜石などの町の比較をスライドショーで見せて下さいました。
近代建築でも昭和三陸地震(昭和8年)の後、高い土地に建てられた建物やその時に被害のなかった建物は今回も助かっていたりするようです。
ただ、たまたま津波の方向にあった建物でブロックされたり、流れに逆らわなかったりして生き残る建物もあり、ここの事情もあるものだなと分かりました。
前村さんの写真については、こちらに掲載されています。
→前村記念博物館ブログ「近代建築・東北地方カテゴリ」
とても貴重なご報告をいただき、感謝です。
<まちかどの近代建築写真展 駅舎特集 の様子>
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