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2012年2月 8日 (水)

加古川の近代を訪ねて(2)ニッケ工場

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今回、加古川のニッケ社宅街を見に行ったのですが、もちろんニッケ(日本毛織(株))の工場自体も見ました。明治32年に創設された歴史ある工場です。
前回も紹介しましたが、裏門が西国街道に面しています。
左手に建っている門衛所が古い建物のようです。

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扉の隙間から見た門衛所。
裏門周辺の敷地はニッケの介護施設に転用され、門衛所は使われていないようです。

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※クリックすると拡大します

加古川の堤防に沿って(歩道がないので冷や冷やしながら)歩いて行くと、赤煉瓦でのこぎり屋根の工場が見えてきます。今は、ニッケ機械製作所が入っています。

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※クリックすると拡大します

赤煉瓦の建物がいい状態で使われています。

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※クリックすると拡大します

堤防を歩いて行くと、赤煉瓦の壁を間近に見ることができます。

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反対側には加古川、向こうにJR山陽本線の鉄橋が見えます。

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赤煉瓦塀が堤防の上まで続いて、ここにも門があります。

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水利利用標識がありました。
ここから加古川の水を引き込んでいるようです。

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水の向かう先には平屋の建物があります。
ポンプ室か貯水槽かなにかでしょうか。

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土手の下に、マンホールがあって、この下を通っているようです。

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そして対岸に煉瓦色の円筒が見えるのは日本毛織(株)の印南工場。
こちらは大正8年竣工の広大な工場です。現在も制服を作っているそう。

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<明治36年修正測図・大正8年鉄道補入 5万分の1地図「高砂」より>

こういう位置関係です。
毛織物工業は染色工程で大量の水を必要とするので、大きな川の側に立地するものらしく、また製品の輸送には鉄道が役立ったのでしょう。原料の羊毛やボイラーの石炭は、当初は川を遡って運びこまれたのでしょうか。
いい場所です。

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回り込むと現在残っている工場群が見渡せます。

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その北側は広大な複合商業施設「ニッケパークタウン」とその駐車場になっています。
ここも元々は日本毛織(株)の加古川工場敷地でした。
この中に赤煉瓦倉庫を使った商業施設があるらしいのですが、見逃してしまいました。
福祉施設も、商業施設も自前でやってしまうとは驚きます。
従業員のためでしょうか。

大きな木が見えますが、樹齢360年のイチョウです。
ニッケの工場ができるずっと前からあるものです。工場のシンボルなのかもしれません。
この足元に明治32年に氏神・泊神社から分霊した大神宮があります。
「社運隆昌、工場安全」から現在は「各店隆昌、参拝者加護」まで増えて大忙し。

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この駐車場にニッケの記念碑があります。
明治32年の川西社長による「一以貫之」の題字と昭和39年の解説板です。
次のように書かれています。

「ここは、わが日本毛織の発祥の地である。
 1899年、加古川工場は操業開始を告げる汽笛第一声をここで挙げた。その汽罐室の正面高く、社長、川西清兵衛翁はこの四大文字を掲げて、われらの心構えを示されたのである。
 爾来六十有余年後の今日までこの文字はわれらの根性となって生きてきた。将来もニッケの続く限り、この文字はニッケマンの旗印となるであろう。
  昭和三十九年十二月三日 」

 という熱い言葉です。

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※クリックすると拡大します

この赤煉瓦の建物が汽罐室(ボイラー室)のようです。
ちょうど入口の上の白っぽくなった部分に、先ほどの石板が掲げられていたのでしょう。

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汽罐室入口の階段。

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※クリックすると拡大します。

汽罐室を堤防側から。

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奥にもまた古そうな建物が連なっています。

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ところで、加古川駅の案内所でもらったマップ(非常に充実しています)に、ニッケ工場の煉瓦塀の散歩道が紹介されていたので、そちらも見てきました。
門衛所の東側で、とても狭い路地を入っていきます。

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煉瓦塀と水路に挟まれたとても雰囲気のいい道です。
煉瓦好きにはたまりませんね。

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水路は工場の中から塀をくぐって流れ出ていて、向こうには赤煉瓦の工場。
とても画になります。

加古川から引き込まれて毛織物を洗うのに使われた水は、この水路からまた流れ出ていたのでしょうか。この水路はこの先、ニッケ社宅街の外周を巡って流れ去ります。
私もこの水路をたどって、社宅街に向かいます。

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(追記)後日、車窓から煉瓦館を撮影しました。(2012.4.18記)

(追記)
 2012年8月19日、神戸新聞で、日本毛織加古川工場は2013年秋までに解体され、加古川市民病院が建設されるとの報道がありました。
 病院のラフゾーニングプラン(PDF)を見る限り、ノコギリ屋根の工場はもちろん、汽罐室や門衛所まで、ほとんどの建物が撤去されるようです。もう少し設計のしようがなかったのでしょうか。
 昨年10月に解体が始まり、2月末時点でノコギリ屋根の工場部分は解体が完了しているようです。その東側はまだ残っているとのことです。
 この建物を記憶に留めるため、写真を拡充しておきます。
(2013.3.5記)


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