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2011年9月 3日 (土)

山形の旅(14)酒田の2つの商家

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酒田の記事の最後に、江戸時代の2つの商家を紹介します。
北前船のことを考える上でも大事な場所です。
まず最初は、酒田のみならず、戦前には日本一の大地主だったという本間家の旧本邸。

 

本間家は佐渡を支配した本間氏の流れで、江戸時代の初期に酒田に移り、「新潟屋」の屋号で商売を始めたようです(向かいの別館「お店」の場所)。
海運業が主業で、金融業も営んでいたのですが、稼いだお金で代々田地を買っていったことで大地主となりました。また、砂丘への植林や港の整備など公益事業や、藩への資金援助なども積極的に行っていたそうです。

 

この本間家旧本邸は三代光丘(1733-1801)が幕府の巡見使を迎えるための本陣宿として明和5年(1768年)に建て、藩主酒井家に献上した建物です。役目を終えると建物は再び本間家に与えられ、本間家の屋敷となったため、武家屋敷と商家が一体の珍しい建物になりました。

 

四代目の光道(1757-1826)が6隻の船を造って北前船交易を行ったことは日和山公園の記事で紹介した通りです。

 

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非常に立派な門構えです。

 

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植わっている松なども立派なもの。
玄関から入ります。

 

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玄関周りや壁の石垣には福井の笏谷石(しゃくだにいし)が使われているようです(違いが分かりませんが)。

 

内部撮影禁止でしたので、写真はここまで。
本間家旧本邸は、昭和20年まで本間家が住み、昭和24〜51年まで公民館として使われ、今は観光施設として有料公開されています。
本間家旧本邸ホームページ※音が出ます

 

広い屋敷内はガイドの方が、武家屋敷部分と商家部分の作りの違いなど、見所を案内して下さいます。
昭和51年の酒田大火のときには屋敷の蔵が火を食い止めて、類焼を免れたそうです。

 

酒田には旧本邸以外にも、今は本間美術館となっている本間家別荘「清遠閣」・庭園「鶴舞園」などがあります。

 

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続いて同じ通りの旧鐙屋へ。
旧鐙屋は酒田を代表する廻船問屋で、井原西鶴の「日本永代蔵」にも登場するそうです。
現在は市が管理する観光施設として公開されています。

 

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展示されていた旧鐙屋の屋敷図です。
現在公開されているのは左のピンク色の部分で、元々は4倍の敷地でした。
現在の建物でもかなり広いですよ。

 

現在の建物は弘化2年(1845年)の火災直後に再建された建物を修復したものだそうです。

 

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こちらは内部撮影もOKだったので、紹介します。
入口を入ると帳場があって、商売の様子が再現されています。

 

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土間がずっと奥まで続いていて、土足で行き来できます。

 

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奥行きが長いでしょう?

 

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庭も眺められます。明かり取りは十分。

 

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見事な桟の細工です。

 

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台所では昔の料理なども再現されていました。

 

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旧暦の大の月の看板?

 

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釘隠の金具はやはり凝っています。

 

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土蔵が資料館になっていて、取り外された金具などが展示されていました。
縁起物です。

 

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庭に出てみました。
奥の建物がさっきまでいた建物です。
ゆったりしています。

 

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庭の敷石も緑っぽいので笏谷石かも。
屋根には石が乗っていますでしょう。

 

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この地方特有の石置杉皮葺屋根という形式の葺き方です。
同じものを鶴岡の丙申堂で見ましたが、風が強いからかもしれませんね。

 

酒田については、旧花街の料亭なども見どころなのですが、今回は回る時間がありませんでしたので、またの機会としたいと思います。

 


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