山形の旅(8)酒田でサイクリング
鶴岡で夕方まで過ごした後、列車で30分、酒田に移動しました。酒田は北前船の港町で、今回の旅行のメインといってもいい町です。
駅前にある背の高いホテル(ホテルイン酒田駅前)に泊まりました。
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唐突ですが、酒田は新潟と似ていると思います。
ともに大きな川の河口に位置する、日本海航路の港町です。
河川を介した内陸の物資と、海を介した他地域の物資とのやりとりの場であるのでしょう。
川が押し流した大量の砂は、日本海の強風にあおられて砂丘をなします。その砂丘の背後に町ができます。
酒田は、「砂潟」とも書くらしく、「狭潟」を語源とする説もあるようです。それなら、新潟にさらに似てきます。
酒田は奥州藤原氏の遺臣36人が開いたという伝説があります。
京都から日本海へ抜けて、海路、酒田に至り、ここから最上川を遡って、陸路、山を越え平泉に至るルートがあったと聞くと、日本地図のイメージが変わります。
酒田には「西の堺、東の酒田」という呼称もあるそうです。
ともに交易で繁栄し、また町衆による自治の歴史があります。堺の自治は戦国時代で終わりますが、酒田は、江戸時代まで三十六人衆の町衆による自治が続いていました。
なんとなく酒田のイメージができましたでしょうか。
ホテルから西の方向を見たところです。
所々にかつて砂丘だった丘があり、防砂林としての松林が見えます。
(指が入ってすみません)
翌朝、酒田の街をレンタサイクルを借りて回りました。無料。
市内各所で借りることができ、私は駅前を利用しました。
天気は良くなかったのですが。
初めての街では、できるだけ郷土資料館を訪ねます。
今回もまず酒田市立資料館を訪ねました。
到着したところで雨が降り出し、館内に駆け込みました。
酒田の歴史、民俗などの展示があり、有名な酒田の大火(1976年)に関する展示もあります。大火では市街の中心部が焼けてしまいました。館内はそう広くありませんが、ゆっくり見せてもらいました。
震災後に観光客が減っているらしく、大阪から来たというと館長さんに妙に喜ばれてしまいました。(遊びに来ている身で恥ずかしいのですが)
この後は、個別に記事にする以外にあちこち走り回った写真を載せておきます。
砂丘ですので、こんな坂もあります。Y字路。
坂に建つ、元割烹か何かでしょうか。
クドウ時計店。
トタンに覆われてはいますが、たぶん近代建築。
インパクトのある大衆食堂。
山形ホールという名前も良き時代をイメージさせます。
S字カーブ。
港に近い、古そうな建物。
同じく港に近い、港らしい家並み。
邸宅の門。
立派な松の木は防砂林の生き残りでしょうか。
駅の近くにあった整地記念碑。
戦前のものかと思います。
かなり偏っていますが、酒田の街をイメージしていただいたところで、次回から個々の建物や地域を紹介していきます。
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コメント
お久しぶりです。
かなり遠い町まで行かれたんですね。
砂丘というと鳥取をイメージしますが、山形にも砂丘があったとは驚きです。
ブロバイダー契約変更したのでブログを引越ししました。
http://yeichan.exblog.jp/
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: 英ちゃん | 2011年7月27日 (水) 13:31
英ちゃんさま
ごぶさたしています。
コメントが遅くなってすみません。
酒田の砂丘は既に抑えられていて、鳥取のような砂の表面ではないんですけどね。
ブログ引っ越しのご案内ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
投稿: びんみん | 2011年8月 3日 (水) 08:32