門司の老松公園と中央市場
久しぶりに昨秋の北九州への旅行のお話です。
「フェリーで北九州」の記事の続きです。
門司港にある老松公園が古い公園と知り、見に行ってきました。
開設は大正11年(1922年)。陸軍兵器本廠の一部跡地にできたそうです。
→携帯版@門司さんの解説「老松公園」
戦後は1947年?〜1954年?まで門司市営老松球場があり、1958年(昭和33年)には門司トンネル博の会場となって再整備されたらしいので、今、見ることができるのはその頃の公園の形のようです。
中央の噴水を囲むフェニックス。
ちょっと気になる電柱がありました。
気になるものは撮っておきます。
大きな石がごろごろと。
戦後のものですが、塑像などがいくつも立っています。
それでも明らかに戦前のものがありました。
こちらの慰霊碑です。慰霊碑という言い方は戦後ですが、元々は忠魂碑です。
昭和7年に建てられました。アールデコに和の要素も。
裏から見るといかにもアールデコでしょう?
幾何学的な面格子。
丸窓にも面格子。
昭和7年建造のプレートがはまっています。
階段下の曲線にも時代を感じさせます。
なぜ老松公園に忠魂碑なのかというと、この公園が門司港に引き揚げてきた戦死・戦病死者の遺骨・遺品の受け取り場所だったらしいのですね。
余談ながら、少し離れた港の方には「門司市畜産組合馬水飲場」と書かれた水飲み場があります。
戦時中、全国から軍馬として徴発された百万頭の農耕馬が、この港から大陸に旅立ったそうで、その馬たちが飲んだ水飲み場です。門司港は戦地とつながっていました。
より大きな地図で 近代の公園 を表示 老松公園の全体像。
ところで、公園のすぐ西側に中央市場の入り口が開いていました。今日はお休みのようですが、入ってみます。
携帯版@門司さんの解説によれば、門司中央市場は、大正8年(1919年)に門司救護会が開設した日用品市場が始まりで、大正10年に門司市に寄贈され門司最大の公設市場だったそうです。戦災で焼失後、民間の手で復興し、1958年(昭和33年)、関門トンネルが開通した年にアーケードが完成しました。
シャッター街らしいのですが、この日は日曜でお休みなのでほぼ完全にシャッターが降りています。微妙にうねる通路。
延々と続いています。
脇の通路も細いものです。
ようやく反対側の入り口に出ました。
それにしても「自転車からおりて押して通りましょう」と書いてあるのですが、そもそもこの通路に自転車が入ってくるのでしょうか。
続いてもっと大きく賑やかな栄町銀天街のアーケードへ。
この日は大門司港博覧祭が開かれていて、多くのワゴンが並んでいました。
栄町銀天街にあった平民食堂。
名前も見た目もレトロ感いっぱいなのですが、見たところは営業してない感じでしょうか。
門司港レトロに限らず、レトロなものが多い門司港地区です。
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