北田辺の戦前住宅地(大阪市東住吉区)
これも北田辺の旧開高邸を見学したときのことです。
前回に続いて、周辺の街を紹介します。
どなたか忘れたのですが、「裏手にこんな建物があるよ」と写真を見せてもらって、後で見に行ったのが、この衣笠荘です。ヘビの柱の住宅の隣です。
アパートと言ったらいいのでしょうか。共通の玄関を入ってから、中の各部屋に向かうようになっています。
表は塗り直されていますが、側面が下見板張りで古そうなことは分かります。
玄関部分はこんな感じ。玄関扉もレトロです。
タイル張りの円柱も古い建物でよく見かけるもの。
「衣笠荘」のプレートも味のある字体です。
裏側に回ると古い建物ということがよく分かります。
昭和初期に流行したという下宿風のアパートを見てみたいと思っているのですが、もしかしてこれがその一つなのでしょうか。
>「アパート生活は果たして快適か」(新聞記事文庫、大阪朝日新聞、昭和6年10月16日)
<追記>
衣笠荘は2016〜2017年に解体されたようです。跡地はマンションになっています。(2021.2.7記)
また、近くにはもう少し時代が下りそうな(戦後かな)、第二松栄荘というアパートがあります。
玄関が2つなのは男女別に分かれている?
<追記>
第二松栄荘は、2013年10月までに解体されたようです。跡地は共同住宅になっています。
さらに西今川に未舗装の路地があり、気になる石柱が立っていました。
古い住宅地で時々見かけるものです。
近寄ると、「紀元二千六百年記念 北田辺 東明町會」と書かれています。
裏側には「昭和十五年四月三日建之」とあります。
このエリアは田辺耕地整理の施行区域の一部です。
大正13年に設立認可され、既に昭和4年には換地処分が終わっているので、昭和初期に多くの住宅が建ち並んだと思われます。空襲の被害も比較的少なかったところなので、戦前から多くの住宅が残っているようです。
周辺には戸建て住宅も多く、例えばこんな洋館付きの住宅。
塀の透かし模様も素敵です。
同じ住宅の洋館部分。
また別の洋館付き住宅。
和9:洋1ぐらいの和洋折衷の長屋もあります。
おまけで、ある住宅の妻の飾り。
(「水」とかよく書いてある。何と呼ばれるのか知りません)
和風の住宅に多い飾りですが、デザインが洋風です。
北田辺のあたりは、このようにモダンな住宅もある住宅地だったようです。
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コメント
2本の石碑は元々国旗掲揚台だったんじゃないでしょうか。紀元弐千六百年の際に各地に国旗掲揚台が作られました。また戦後にも何かの記念に掲揚台を作ることもあったんですよ。
投稿: あのまのかりす | 2012年2月27日 (月) 09:28
あのまのかりすさま
コメントありがとうございます。
2本セットですし、国旗掲揚台で間違いなさそうですね。
投稿: びんみん | 2012年2月27日 (月) 23:19
びっくりしました!!
たまたまこのサイトを発見・・ここに写っている洋館付き住宅で生まれました。
その後、親戚の家になって学生時代まで遊びに通っていたので判りました。
現在はまったくの他人様の手にわたりましたが・・・
まだ現存していたのですね?
懐かしくて・・ありがとうございました。
北田辺の後、何年かして幼少期からは枚方市の香里団地で育ちました。
戦争跡も懐かしかったです。
年齢がわかってしまいますが、小学生のころは高射砲跡のようなところがあって、そこで
戦争ごっこのようなこともしたことを覚えています。
こんなに偶然ということがあるものなんですね。
投稿: たえりん | 2012年10月 4日 (木) 19:17
たえりんさま、コメントありがとうございます。
私もびっくりです!不思議な偶然ですね。
ここの洋館付き住宅、きれいにされていましたよ。
私は現在の姿しか知らないので、こうしてエピソードを教えていただくと、イメージがふくらみます。
ありがとうございました。
投稿: びんみん | 2012年10月 4日 (木) 21:26