鉱石の道ツアー(2)神子畑の選鉱場跡
兵庫県・生野鉱山の、鉱石の道ツアーの続きです。
生野の町だけでも十分お腹いっぱいの内容でしたが、瀬戸内海・日本海の分水嶺を越えて(でも同じ朝来市内の)神子畑(みこばた)を目指します。
神子畑は、生野の鉱山が一時衰潮になった際、明治11年に優良鉱脈が再発見され、開発が進みました。そして、明治19〜20年に神子畑と生野が約16kmの専用道路で結ばれました。これが鉱石の道の始まりです。のち馬車鉄道軌道が敷設されます。
専用道路には5つの鋳鉄橋が架けられ、うち2つが現存します。
その1つが写真の神子畑鋳鉄橋です。現存する鋳鉄橋としては日本で一番古いので、重要文化財に指定されています。近くで見ると鋳鉄らしい質感がありました。
(ちなみに現存最古の鉄橋は鶴見緑地に移設されている心斎橋らしいです)
(参考)
「鉱石の道がつなぐ三鉱山」(社宅研究会編著『社宅街 企業が育んだ住宅地』、p143〜156、2009年)、以下も。
続いて、神子畑の選鉱場跡に到着しました。
神子畑の鉱山は明治の終わり頃には次第に枯渇し、代わって開発された山向こうの明延鉱山にシフトする形で、大正3年には一部工場を残して休止。大正8年には明延の鉱石を選鉱する大規模な選鉱場として再生しました。しかし、それも昭和62年の明延鉱山閉山ともに操業を終え、平成16年に建物も撤去されました。
今回の参加者の中には建物が残っていた頃を知る人もいて、このツアーの企画につながった感慨深い場所だそうです。
私はこのところなぜか選鉱場づいていて、新居浜の星越選鉱場、佐渡・相川の北沢選鉱場と見てきましたが、ここの選鉱場は高さがあります。
インクラインの線路と一部の建物が残っています。
インクラインというのは「産業用のケーブルカー」と考えていいみたいです。
解体直前の神子畑選鉱場の姿。
建物があるとないでは印象が違います。
新居浜の星越選鉱場も解体が進んでいるのでしょうか。
神子畑には明治4〜5年に生野に建設された外国人宿舎の1つが、明治20年に事務所として移築されています。
現在はムーセ旧居の名前で資料館として公開されています。
ベランダを巡らせたコロニアルの建物で、ここはそこまで暑くないだろうと思うのですが。
瓦屋根には菊の紋章。
明治22〜29年まで皇室財産だった名残です。
瓦は赤い生野瓦ですが、最近復原されてそれっぽく焼きむらをつけたものみたいです。
館内には往時の神子畑の街並みがジオラマで展示されています。
選鉱場だけでなく、川沿いに多くの建物が建ち並んでいました。
こちらが力作の神子畑選鉱場の模型。
屋根を取っ払った内部の様子が模型になっています。
これはとても参考になります。上から砕いて、鉱石を順に取り出していって、泥が残ります。
最後に右下にある円盤状のシックナーで水分を除きます。
鉱石は精鉱となり、銅精鉱は直島経由で大阪へ。亜鉛精鉱は秋田へ。錫精鉱は生野経由で直島へ送られ、精錬されたそうです。
神子畑には2基のシックナー跡が残っています。
今回は特別にシックナーの下に入れていただきました。
このようにステージがあります。
コンクリートの柱が林立しています。
一部ポンプなどの機械も残されていました。
屋外の資料館として展示されていても良さそうです。
泥を運んだ(?)トロッコの台車も残されています。
シックナーの操作盤。
廃墟好きの方が多かったので、シックナーはかなり面白い撮影ポイントだったと思います。
周辺の建物は何軒かの住宅を除いてほとんどないのですが、古そうな小屋が残っていました。
赤いランプが付いているのは、もしかして消防車庫?
かつてはこの道沿いに建物が並んでいたはずですが、すっかり空き地になっています。
それでもここに町があり、たくさんの人が暮らしていた記憶はなんらかの形で残ってほしいものです。
その手段が観光であってもいいのかなと思います。
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