新潟なつ歩き(19)赤泊の望楼
いよいよ佐渡島も最後の赤泊(あかどまり)です。本州行きの高速船が出る赤泊港に到着しましたが、出港までは1時間ほどありますので、手荷物を佐渡汽船で預かっていただいて街を見に行きました。
港の公園に唐突にこういう所があってびっくりします。
江戸時代に船や物資の出入りを把握する赤泊御番所が置かれていたのを再現しています。
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赤泊は中世以来の港町ですが、とくに相川の金銀山の開発後は本土から最短の渡海場となり、栄えました。対岸は寺泊(てらどまり)です。江戸中期以降、佐渡奉行の赴任は寺泊〜赤泊、離任は小木〜出雲崎となったそうです。
海岸沿いに車道が通っていますが、その一本内側には昔ながらの町並みが残っています。
左が山で、右が海。山裾にへばりつくように細長く街は伸びています。
土地が狭いため農業は成り立たず、早くから漁業や回船業、北海道への商人としての出稼ぎ(松前稼ぎ)に活路を見いだしていました。
町並みは思った以上に趣きがあり、まちなみ散策マップもしっかりしたものがあります。
(以下、説明は主にこの「望楼のある港町 赤泊まちなみ散策マップ」によります)
まずこちらは、旧岩間医院。この入り口が変わっています。ちょっとコロニアルな雰囲気もあります。昭和初期の建物です。
まずは西の方へ。下見板張りの壁に、ガラス窓を多用する町家は小木と同じです。
うねる道に誘い込まれます。
道の脇に共同井戸がありました。
新しいバケツが置いてあるということは今も使われてそうです。
赤泊は山が迫っていますので、脇の路地はすぐに階段になります。
上がってみたい気もしましたが、時間の関係でやめておきました。
柔らかそうな石畳です。
逆に北の方にも歩いてみました。
こちらもうねる町並みです。
そして、道の向こうに望楼が見えます。
この町のシンボルともいえる旧田辺邸の望楼です。
その手前にある旧前佐渡水電。水力発電所を持つ電力会社の事務所でした。
大正9年(1920年)の洋館です。
玄関扉のデザインなどとくにモダンです。
間近に見る旧田辺邸。
松前稼ぎで財をなした田辺九郎平が、明治30年頃に建てたものだそうです。
望楼は北海道の鰊場御殿の望楼に似ているとのこと。
望楼付きの家は港町で成功した人がよく建てるものなのでしょうか。
いったん前を通り過ぎて反対側から。
今も高い建物がありませんので、3階の望楼は十分目立っています。
望楼部分の拡大。
2階を見上げたところ。
手すり子が洋風です。ガラスの雨戸は10枚ありますが、左右に戸袋があるということ、手すり子があるということは、開け放てるんでしょうか。
床下換気口のデザイン。
基礎の石は柔らかそうな石です。
赤泊は宿根木・小木に比べると知名度が低いと思うのですが、うねる町並みは魅力的でした。
私は回れませんでしたが、北雪酒造の酒蔵がありますし、いくつもの旅館が残っています。
佐渡旅行に赤泊ルートを使う理由になりますし、高速船で赤泊を利用するなら、この町はぜひ見ていただきたいなと思います。
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