新潟なつ歩き(13)佐渡金山の港
新潟なつ歩き(12)佐渡金山の産業遺産の続きです。
既に北沢地区でお腹いっぱいで、いい時間だったのですが、もうひとがんばり旧大間港にも足を伸ばしてみました。相川に出かけられるなら、ここもご覧になった方がいいです。
旧大間港は、解説によると佐渡鉱山の鉱石や搬出入を目的に、明治20〜25年につくられた港です。
その後、大正〜昭和にかけてクレーン台座やローダーなど設備が充実され、戦時体制に向かう昭和15年には火力発電所ができるなど、前回の北沢地区と歩調を合わせて整備が進んだそうです。
入り口が分かりにくいのですが(私は裏側から入ってしまいました)、入っていくと木造の倉庫が2つ並んでいます。
倉庫の壁にはずらっと解説パネルが掲げられていました。
長岡造形大学の学生さんによる「佐渡鉱山近代化施設跡地の空地再生計画(造形学部優秀卒業研究)」がメインです。
木造倉庫の隣には小さな赤煉瓦倉庫もあります。
旧鉱山書庫らしいです。
世界遺産登録をめざすグループがあるのですね。
これだけ歴史があって、遺産も残っていれば、登録されてもおかしくなさそう。
2つの倉庫の間を抜けると船だまりに出ます(左が海)。
ちょっとした模型みたい。左から強烈な西日が差していて、写真の方向が限られます。
奥に2つ見える丸い台は作業用のクレーンの台座です。
石積の台座は大正3年だそう。
こちらもクレーンの台座で昭和10年のものらしい。
この他、海に向かってはローダー橋脚が残っています。
クレーンやトロッコが通り、船に積み下ろしする橋でした。昭和13年頃には南北2本あったそうです。
鉱石の積み出しと火力発電所の燃料用の石炭の搬入が行われました。
小さなトラス橋。戦前のもの。
手の込んだ構造になっているのは、トロッコの鉱石を下の小舟に落として積み込んだからだそうです。
トラス橋の内側はさらに入り江になっています。
また陸側には建物の残骸がありました。
昭和15年に建設された大間火力発電所の跡だそうです。
親切なことに佐渡市が設置した案内板には、大間港周辺の見取り図が示されていて、とてもよく分かります。
露天鉱石置場は立ち入り禁止になっています。
一番下の煉瓦倉庫は未確認。
最初に紹介した論文でも提案されているのですが、ここが整備されて立ち入れるようになれば、いい史跡公園になるだろうなと思います。
既にこれだけきれいな看板なども整備されているのは意思の表れと期待したいところです。
あと1回、鉱山関係以外の相川の記事を書きます。
「新潟なつ歩き(14)相川の街並み」に続く
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