新潟なつ歩き(12)佐渡金山の産業遺産
道遊坑を出て歩いて行くと、崖の端に工場の建屋があります。
昭和12年頃に完成した粗砕場(鉱石の一時破砕を行った施設)跡です。
工場に向かってトロッコのレールが伸びていますが、これはグランビー鉱車(1.6トンの横開け鉱車)で、鉱石が運び込まれたのだそうです(説明板より)。
ただこれだけの施設かと思うと・・・
なんと! 下に回ると七層構造の大きな施設なんです。
(一番上に見えているのがさっきの建屋)
解説板によると、鉱車から落とされた鉱石は、上層部から下層部に作業工程を進んでいくうちに分級・破砕され、大きさを揃えられて、最下層部にあるベルトコンベアーで貯鉱舎に運ばれたそうです。
この鉱石が落ちてくる下の地区は、間ノ山地区というそうです。
奥に見えるのが先ほどの破砕場跡。
鉱山関係の施設が立体的に配置されています。
手前にあるのは明治37年に架けられた石積アーチ橋です。
もう一つ上流にも石積アーチ橋があり、そちらは現役です。
何の施設か判りませんが、背の高い施設。
相川に出るバスはいい時間の便がなく、2kmほど下ればすむので歩いて戻ることにしました。
梅雨が明けたばかりで、かなり暑い歩きでしたが。
途中、トロッコの線路の跡、トンネルの跡なども見られます。
相川の町まで下ってくると、丘の上に佐渡版画村美術館があります。
明治21年に建てられた旧相川裁判所です。
時間がないので中には入っていません。
ここで急に写真が保存できなくなるトラブル発生。
気付かないうちにSDカードの容量を使い切っていたのでした。そんなのは初めて。
不要な写真を何枚か削除して急場をしのぎます。
旧相川裁判所の向かいには復元された佐渡奉行所があります。
(強烈な逆光で見苦しくすみません)
丘の上からのぞき込むとなにやら遺構のようなものが点々と。
これも鉱山関係の遺跡らしいので見に行ってみることにしました。
それよりまずはSDカード。
丘を降りて電気屋さんに飛び込み、無事入手できました。
すぐ入手できるような場所で助かりました。
さて、佐渡金山の産業遺産はいくつかの地区に分かれています。
先ほどの高任・間ノ山地区で採鉱、ここ北沢地区で選鉱・精錬、大間地区(次回紹介)で鉱石積み出しという流れになっているそうです。
北沢地区の入り口には赤屋根で下見板張りの建物群があります。
明治22年に建てられた旧宮内省御料局佐渡支庁の建物。右の平屋の建物は相川郷土博物館となっています。
さらに奥には白ペンキ塗りの小さいながら瀟洒な建物があります。
他の3つの建物とは異質です。
さらに進むと変電所跡の煉瓦建築があります。
こうして全景を眺めると巨大ステージのようで壮観。
丘の上にある集合住宅と大きさを比較してみてください。
北沢地区には元々明治23年前後から施設はあったのですが、昭和12年から、国策の金増産のため大改修が行われたそうです。今はその遺構だけが残っています。
上の写真の範囲はこの右の網掛け部ですので、どれだけ巨大か分かります。
<大間地区の解説板より>
かつてはこのような上屋が建っていました。
他にも直径50mのシックナー。
昭和15年に完成した泥鉱濃縮装置です。
泥状の金銀を含んだ鉱石から、この装置で水分を分離し、対岸の北沢浮遊選鉱場に送られました。
また、手前は製材及雑作業所跡だそうです。
機械部品の原型となる木型用材を製材加工しました。
鋳造工場跡。
木型工場で組まれた木型を基に作られた鋳型へ溶けた金属を流し込み、機械部品を製造する施設だったそうです。
佐渡金山の産業遺産としては、北沢地区も一つのハイライトと言えそうです。
大間地区の話に続きます。
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