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2010年9月20日 (月)

新潟なつ歩き(11)佐渡金山へ

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間があいてしまいました。
新潟旅行・佐渡島で両津の街を歩いた続きです。
両津は島の東海岸にあるのですが、バスで一気に西北海岸の佐渡金山(相川)を目指します。
「本線」という島のメイン路線です。

 

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今回、バス移動ということで、2日間バスが乗り放題になる「佐渡2dayフリーパス」を利用しました。土日なら2000円のチケットもあったのですが、平日にまたがるのでこちらです。

 

いくつか利用特典があり、中でも便利だと思うのが、荷物をバスの営業所か主要な旅館に届けてくれるサービス「手ぶら便」。500円が300円になります。コインロッカーに預けるよりいいです。営業所受取の場合、営業時間に限られますけどね。

 

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バスは平坦な国仲平野を横断して走ります。
北にも南にも山地があるので、島にいる感じがしません。
平野を風が抜けていきます。

 


より大きな地図で 佐渡 を表示

 

バスは西の中心地・河原田で西海岸に出た後、海岸沿いに北上、山地をトンネルで抜けて相川の町に出ます。
この間、1時間弱。
途中、沢根で古い小学校建築を見ました。

 

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相川で止まるバスも多いのですが、私の乗ったバスは眼下に相川の街を見つつ、川を2kmほどさかのぼった佐渡金山まで行きます。相川〜佐渡金山間は純粋に観光路線です。

 

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佐渡金山の坑道では、江戸時代の宗太夫坑(右)と明治時代の道遊坑(左)の2つが一般公開されています。入り口はほぼ同じ。入場料は各800円で、両方なら1200円です。
私はあまり来る機会もないので両方見ることにしました。

 

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まずは江戸時代の宗太夫坑から。
中に入ると寒いぐらいに涼しい(10度ぐらい)。

 

解説によると宗太夫坑は、江戸時代初期に開坑され1690年代の主力間歩(まぶ/坑道)の一つだったそうです。公開されているのは一部ですが、坑道は2km先の海面下まで延びています。

 

枝分かれした坑道には鉱夫の動く人形と道具などが再現されていました。
ただ掘るだけでなく、換気や排水に多くの労力が割かれていたことが分かります。

 

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一般には囚人労働のイメージが強い鉱夫ですが、それは一部であるということを強調するような展示内容でした。坑内での祭礼の様子なども再現されています。

 

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坑道を抜けると資料館があります。
この写真は相川の町の様子。
町を見下ろす位置に奉行所があり、その向こうに鉱山がありました。

 

相川は鉱山の町として賑わい、江戸時代に人口は5万人もいたそうです。

 

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こちらの模型は鉱脈を立体的に表現したもの。
人体模型みたいですね。板状に縦に鉱脈が何本も走っているのが分かります。
手前が相川の町で、今は海岸沿いが主な市街地ですが、江戸時代には岡の上にも町が広がっていました。

 

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続いて明治時代の坑道である道遊坑に入ります。
道遊坑は明治32年(1899年)、佐渡鉱山の主要鉱脈「道遊脈」の開発を目的に開削された主要運搬坑道です。つい最近の平成元年まで使われていたそうです。

 

広くて歩きやすいですが、洞窟というよりトンネルで、歩くには単調です。

 

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気温はわずか11度。

 

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トロッコの線路がひかれ、蓄電池式機関車が止まっています。

 

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トロッコの軌道を歩いて行きます。

 

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外に出ました。外から見るとトンネルですね。

 

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坑道を出たところには昭和20年代に建てられた機械工場が、資料館としてそのまま活用されています。
蓄電池式機関車とターンテーブルは、おもちゃのようなかわいらしさ。

 

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採掘機械のメンテナンス用の工作機械が並んでいます。
こういうのも自前でかかえていたそうです。

 

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人を運ぶトロッコ。

 

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鉱石を運ぶトロッコ。

 

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振り返ると江戸時代初期の露天掘りの跡である「道遊の割戸」が見えます。

 

佐渡金山というと江戸時代の鉱山のイメージが強かったのですが、平成元年まで操業されていたわけで、産業遺産としても見応えがありました。
産業遺産としてはこの後、まだまだ多くの遺構を見ることになります。

 

 >「新潟なつ歩き」シリーズの目次はこちら

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コメント

廃坑は写真で見ると魅力的ですが、
たぶん実際に入るのは苦手かも。
ちょっと閉所恐怖症気味なので・・(笑)

海沿いの相川の町の路地とかも味わい深そうですねえ。

投稿: Bassman | 2010年9月22日 (水) 10:11

Bassmanさん、こんばんは。

こういうところが苦手とは意外です。
勝手ながらアンダーグラウンドの似合うようなイメージが。

相川の町の路地は改めて紹介します。
次の次の次ぐらいに。

投稿: びんみん | 2010年9月23日 (木) 02:30

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