春の彦根(3)滋賀大学の近代建築
彦根城の西側、お堀の向こうに滋賀大学の経済学部があります。ここに2つの近代建築があるので見に行きました。
1つは手前に見えている塔屋のある建物です。
滋賀大学の正門にやってきました。
この大学はちょっと変わっていて、経済学部は彦根ですが、教育学部は大津です。
それぞれルーツも違い、経済学部は彦根高等商業学校(彦根高商)、教育学部は滋賀師範学校・滋賀青年師範学校の系譜をひいています。商人の街・彦根らしいですね。
まず滋賀大学経済学部講堂。
彦根高商は大正11年に開校するのですが、大正13年に完成したのがこの大講堂です。
南側が正面です。
この建物は4面それぞれの表情を見せてくれます。
東側も正面らしい構えです。
演台は西奥にあるので、こちらから入ると正面に演台を見ながら入ることになります。
北側はお堀越しに講堂を眺めることができます。
こちらから見られることも意識されているでしょう。
(追記)
1954年の卒業生さんの情報で、講堂の右側に見える平屋部分は「合併教室」と呼ばれる階段教室だったとのことです(コメント欄をお読みください)。
「合併教室」の窓。
「合併教室」の裏口。
(2010.6.8記)
もう少しクローズアップしてみましょう。
屋根の丸いドームは銅板張りの凝ったつくり。
緑青と木に塗られたパステルグリーンが合っています。
東玄関の装飾。
全体に派手な装飾はありませんが、大正時代らしい幾何学模様が入っています。
銅の雨樋にもさりげなく植物のデザイン。
外観だけでなく、座席も木製で、味わいのある講堂だと思います。
平日なら予約すれば見学できるそうですが、この日は休日だったので外からだけです。
もう一つの近代建築は陵水会館。
陵水会というのは、神戸高商の同窓会で、その会館でした。
昭和13年の建物で、設計は滋賀にゆかりのあるヴォーリズです。
桜並木があったというこのアプローチも含めて良いです。
左に少し見えているのは池で、後で紹介します。
スパニッシュの建物で、入り口周りのタイル、そして2階のバルコニーと、とても暖かみを感じさせます。壁面ももこもこした感じ。
入り口の階段にも楽しげに豆タイルが張られて、歓迎ムードにあふれています。
2階のバルコニー。
一足に先に到着した卒業生が、後から来た同窓生に手を振っていたのでしょうか。
裏側に回るとまた違った印象を受けます。
最後に、これもいいなと思った壁泉を紹介します。
陵水会館とセットではないかと思います。
このときは止まっていましたが、陶製のライオンから水がはき出されていたはず。
小さいながら、暖かみを感じさせる空間でした。
より大きな地図で 彦根 を表示
| 固定リンク
「建築」カテゴリの記事
- 野外博物館・四国村(香川県高松市)(2024.07.14)
- 屋島ケーブル跡(香川県高松市)(2024.06.24)
- 北白川の住宅地を歩く(京都市左京区)(2024.06.06)
- 岡ビルから南の建物(愛知県岡崎市)(2024.02.16)
- 六所神社の彫刻(愛知県岡崎市)(2024.02.11)
「日常旅行(滋賀)」カテゴリの記事
- 八幡公園と擬木(滋賀県近江八幡市)(2021.01.03)
- 石山寺公園(滋賀県大津市)(2020.01.18)
- 長等公園(滋賀県大津市)(2020.01.15)
- 日牟禮八幡宮の仙人彫刻(滋賀県近江八幡市)(2016.01.02)
- 日牟禮八幡宮楼門の動物彫刻(滋賀県近江八幡市)(2016.01.01)
コメント
近頃の滋賀大学経済学部を紹介していただいて有難う。懐かしく拝見しました。
講堂は2階建てですが、その奥の1階建ての建物は「合併教室」当時称していました。階段教室で、一番大きい教室でした。といっても200人ぐらいで一杯になります。当時経済学部の定員は150人でした。
陵水会館2階は、私の学生時代は教授の研究室でした。質問や論文の相談に、恐る恐る伺ったものでした。
投稿: 1954年卒業生 | 2010年6月 8日 (火) 15:45
1954年卒業生様
初めまして。
実際に通われていた方に書き込みいただいて、とてもうれしく思います。時々そういうことがあって、ブログを書いていて良かったなと思います。
滋賀大学が成立するのは1949年ということは、発足間もない頃の卒業生でいらっしゃるのですね。
講堂奥の建物は階段教室でしたか。
お話に出ましたので、少し写真を足しておきます。
陵水会館は親しみやすい建物ですが、教授の研究室でしたらまた違った印象をお持ちかもしれませんね。
貴重なお話をありがとうございました。
投稿: びんみん | 2010年6月 9日 (水) 02:18