飾磨の港風景(姫路市)
<ベースマップは昭和22年修正 2.5万分の1「姫路南部」>
※クリックすると拡大します。位置はおよその位置です。
飾磨の締めくくりに港の風景を紹介します。
その前にごく簡単に飾磨の港の変遷をたどります。
飾磨の古代の港は、思案橋の近く、「津田の細江」と呼ばれる入り江にあったようです。菅原道真公が九州に流された際に立ち寄ったとされるのもこのあたり。
中世を経て、江戸時代の終わり頃までの港は飾磨の町の東側です。
池田輝政が1601年以降、姫路築城とともに港(飾磨津、飾万津)を整備してから、姫路の外港として発展したようです。姫路藩御船役所のあった向島には水軍が置かれていました。
しかし、幕末には土砂の堆積で港の機能が低下します。藩に調査を命ぜられた大浜の肥料問屋・藤田祐右衛門は、弘化3年(1846年)、河口に湛保(港)の新設を出願、四国・丸亀港を参考に同年10月、湛保が竣工しました。排水に水車4000台を使い、藤田祐右衛門が私費で数千本の松林(防風林)を植える大工事だったそうです。港が完成すると、船宿と遊女も移ってきました。
明治になると生野銀山の積出港となります。
帆船を主とする港は大正時代に大きく発展しました。
その移出品は主に綿糸(福島紡績設置の翌大正3年から急増)、麺類、薬品。移入品は石炭(大正10年には神戸港をしのぐ)、棉花、肥料、木材、石灰(?)、セメントだったそうです。この地域の工業発展と密接に関係していました。
大正12年にも小規模な改修が行われますが湛保は手狭で、昭和に入って大改修計画が立てられ、沖へ沖へと港が伸びていきました。
<参考>
神戸又新日報「近き将来を約して大飾磨港の実現」(昭和6年1月1日〜8日)
→神戸大学新聞記事文庫
さて、実際に港を巡ります。
まず津田の細江のあたり。向こうに見える赤い橋が思案橋です。
遊郭との境目によくある名前の橋ですが、ここでは菅原道真公がどちらに進むべきか思案したという説もあります。
江戸時代の港のあたり。
ごく小さな水面です。
川沿いに歩いて行くと、ボートがたくさん繋船されています。
ちなみに遠くに見える白いドームが、昔の飾磨港駅の跡地です。
対岸には造船所もあります。
土砂採取の作業船(ガット船)。
釣り船。
小規模な渡船でしょうか。
廃船になっても、まだ浮き桟橋として利用されています。
湛保に到着しました。東西120m、南北150m。
こんなにこぢんまりとした港ですが、今も港として立派に役立っています。
海上保安庁や警察の船もここに泊まっています。
湛保には修築者である藤田祐右衛門翁の顕彰碑がありました。
湛保のぐるりは雁木のような石段があって、昔の港湾設備の名残ではないでしょうか。いい味を出しています。隅がカーブになっているのがいい。
「七福神」「福弁財天」という船は何に使われるんでしょうね。
現代の姫路港からは小豆島や家島群島行きの船も出ています。
「オリーブライン」のフェリー「おりいぶ丸」。もちろん小豆島行きです。
輸送用の船です。
様々なタイプの船を見るのもまた楽し。
港にあった姫路港飾磨公共埠頭の案内図。
左端が湛保ですので、ずいぶん長く沖合に伸びています。
ここは公共貨物、旅客の拠点であり、毎年クルーズ船も数回寄港するようです。
古来からの港は、場所を移しながら今も活動し続けています。
より大きな地図で 飾磨 を表示
<関連ブログ>
網干在住日記「飾磨、散策4」津田の細江
「飾磨、散策8」飾磨港駅
「飾磨、散策9」湛保・姫路港
「飾磨、散策10」姫路港
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