庚申堂の三猿(大阪市天王寺区)
以前、庚申街道を歩いたとき、名前の由来である庚申堂に立ち寄れなかったので、改めて庚申堂を見学してきました。
おさらいすると、庚申堂は四天王寺の真南で、上町台地を横断する人工的な窪地の北斜面にあります。
朱色の門をくぐるとそこは静かな境内。
中央にご本尊を守るお堂、周囲にいくつかのお堂や石碑、石像があります。敷地はとてもゆったりしています。
この本堂、大阪万博の休憩所「法輪閣」を移築したものだとか。
後で知ってびっくり。あちこちのブログで紹介されています。
本堂に今年度の庚申まいりの日程表が貼ってあります。
訪ねた日は5月8日で、翌日の祭りに備えて準備が進んでいました。
庚申堂のご本尊は帝釈天の使いである青面(しょうめん)金剛童子という神様です。
ここは日本で初めて庚申尊が出現した場所で、時は701年正月の庚申の日。当時は疫病が流行っており、青面金剛童子は除災無病の霊験を示されたそうです。それ以降、庚申の日およびその前日(宵庚申)にご本尊に祈れば、必ず一願が叶うとされています。
なお庚申信仰というのは元々道教思想で、60日に1回巡ってくる庚申(かのえさる)の夜、寝ている間に体内に棲む三尸(さんし)の虫が天帝に日頃の悪事を報告に行くので、眠らずに過ごすことで災いを避けるものです。その日は皆で集まって夜明かしします。その風習と四天王寺の庚申堂に関連があるのかはよく分かりません。
境内で気になったのは百度石に刻まれた三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)の石刻です。猿は青面金剛童子の使いだそうで、いたるところに三猿が刻まれています。三猿というのはそんなに一般的だったんですね(外国にもあるとか)。
これは裏面の見ざる。
この百度石は天明3年(1783年)のものです。
境内の西側に石碑が固まっている場所があります。
それぞれに三猿が刻まれています。
この石碑は天和4年(1684年)のもの。
ここに登場する三猿は、かなり簡略ですね。
そこへ行くと昭和15年の三猿はユーモラスです。
楽しそうにも見えます。
奈良の庚申堂では、猿と言えば身代わり猿なので、同じ庚申堂でも表現が違います。
三猿以外にも石像があります。例えば七福神の石像。
昭和11年に奉納されたものです。造形的に面白い。
隣には大黒さん。そりに乗っているようにしか見えません。たぶん米俵に乗っているのでしょう。
他にも気になるものが。
庚申堂では、庚申こんにゃくというのが名物だそうです。
「北を向いて無言で」というと、節分の恵方巻を思い浮かべますが、大勢の参拝客が北を向いて無言でというのは気になる光景です。
四天王寺のお堂の一つでありながら、かなり特徴のある庚申堂でした。
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