率川跡の散歩道(奈良市)
2〜3回に分けて奈良市の話を書きます。
(でも某博覧会とは全然関係ありません)
次回紹介する市場を探して奈良の街を歩いていると、ふいに「柳橋」と書かれた親柱に出会いました。この親柱以外は見ての通り普通の道路。別のスイッチが入って、川はどこだ?と探し始めました。
ちなみにこのシンプルな円柱の親柱は、後で考えると昭和初期のものだと思われます。
見るからにこれが川の跡です。
この道は公園の横をうねうねと西に向かっています。
ただ、こちらに向かうとどんどん街から離れてしまいますので、上流をたどってみることにしました。
上流側をたどると「長幸橋」の親柱がありました。
明治41年(1908年)と書かれていますから非常に古い橋です。角柱に四角錐が載ったこれもシンプルな橋。川の名前が率川(いさがわ)ということも知りました(読み方はさっき知りました)。
この写真は西から東に、道路目線で撮っています。
逆に南から北へ、水路目線で撮るとこうなっています。
さらに行くと水路跡に面して「いさ川幼稚園」の門。
脇に解説板が立っていて、平成3年に移築された旧楽人長屋の門だそうです。明和3年(1766年)に建てられ、楽人(雅楽の奏者)が住んでいた長屋だとか。なぜ移築先がここなんでしょうね。
瓦の模様が象形文字風の「宮」? 踊っているようでユニークです。
いさ川幼稚園のある通路を振り返ったところ。
この地蔵堂は川の中にあったんでしょうか。
このあたりの町名は小川町。
広幅員のやすらぎの道を渡ると川を見失いかけたものの、少し北寄りに「率川橋」がありました。
ここの雰囲気が一番面白いと思います。
写真では切れてしまいましたが、たもとに地蔵堂があります。
川の流れは奥から流れきて、カーブして左へ。
親柱が4本とも残っています。
荒く削って仕上げた角柱は、大正15年(1926年)の竣工。
今までに見たこの時代の親柱はセセッション風のことが多いのですが、これは違います。伝統的というのか、それが奈良らしさなのでしょうか。
川跡の道は「裏側感」があり、また「抜け道感」もあります。
このうねり具合がなんだか楽しい。
中街道を渡ると、ちょっと道がグレードアップして、遊歩道っぽくなります。
奥の建物からはガッチャン、ガッチャンと織機らしき音が聞こえていました。
それでもやっぱり裏側。
もちいどのセンター街の手前。このトンネルは面白い。
さらに舗装が良くなって、川跡に面して店が並び、もはや表になります。
カフェや甘味屋まで面しています。
今度はマンションのある一角に出て、また橋跡があります。
絵屋橋という橋でした。
昭和2年に竣工した橋で、シンプルな円柱。この時代ならもっと装飾的でもおかしくないのですが。
この写真は北から南へ、道路目線です。
絵屋橋から坂を上るとぱっと視界が開けて猿沢の池に出ます。
この展開は非常に面白い空間演出です。
より大きな地図で 奈良 を表示
<率川跡をグーグルマップで>
絵屋橋脇にあった解説によると、率川(いさがわ)(または菩提川)は、春日山を源流とする小川で、平成4年に暗渠化されたそうです。つい最近まで開渠だったんですね。
率川跡は散歩道として面白いのですが、奈良のど真ん中を流れていた川が暗渠化されているのは惜しい気もします。
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コメント
最初、リツガワって読んでました。猿沢池は彼女とよく行ったのですが、こんなところに遊歩道があったのですね。それも最近まで、川が残ってたんですね。それにしても何故 暗渠化されたんでしょう。東大阪にも暗渠化された川はたくさんありますが、ほとんどが緑道になっています。緑道にしてしまいますと、維持管理が意外と大変です。こういうコンクリートの遊歩道も味気ない感じがしますが、これもひっそりして意外といいかも知れませんね。
投稿: なおき | 2010年4月27日 (火) 18:32
なおきさん、こんばんは。
リツガワって読んでしまいますよね、やはり。
埋められる前の川の記憶がないのですが、あまりきれいではなかったのでしょうか。
ここの場合は川の方がいいように思いますけど、散歩道としてはこの道も悪くない気がします。
投稿: びんみん | 2010年4月28日 (水) 01:28
こらおもろい!!
親柱が、やたらと残っているなんて
人と川の繋がりが深かった証拠でしょうか?
投稿: 路爺 | 2010年4月29日 (木) 00:36
路爺さん
面白がっていただいてありがとうございます。
親柱は橋がなくなったあとも近くの公園などに移されていたりしますが、これだけ現地に残されているというのも珍しい気がします。
私が写真を撮っていたら、通りがかった人が「そうそう、私がここに引っ越してきたときは川が流れていたのよ」と隣の人に話しながら歩いて行きました。
投稿: びんみん | 2010年4月29日 (木) 01:33