借りるなら隣の方(堺市)
千里山の団地を見に行くつもりだったのですが、事情により行けなくなり、代わりに以前から目星を付けていた堺東の東側あたりをミニ探訪しました。
<昭和13年 大堺市街地図>
今回探訪したエリアは、堺市の南三国ヶ丘町4・5・6丁のあたり。
中三国ヶ丘町1・2丁や南三国ヶ丘町1・2丁は以前に探訪して、いいお屋敷をたくさん見かけたエリアです。南三国ヶ丘町1〜3丁は昭和6年以降、4〜6丁は昭和16年以降の町名で、開発時期の違いが反映しているようです。昭和13年の地図では既に街区が割られて建物が建ち始めています。
また、終戦直後の空中写真を見るとこのエリアは既に都市化していて、戦災も免れていることが分かります。北側の大阪刑務所にかけても長屋が建っています。
→昭和28年の空中写真
トップの写真は南三国ヶ丘町5丁で、しかも空き家!
かなり傷んではいますが、外側もほとんど手が入っていないので補修すれば見違えると思います。
「貸家あります」と電話番号が書いてありましたので、思い切って電話してみました。
非常にタイミングの良いことに、大家さんは隣の家で作業中でした。ご自宅は離れているので、ほんとにたまたま。残念ながら、貸家というのは右側の家のことで、この家は物置に使っているそうです。でもせっかくなので、右の家を見せていただくことにしました。
この角地の家です。あまり詳しく聞かなかったのですが、この家も戦前のものではないでしょうか。
というのは、この八角窓。
木製桟のパターンといい、交差する鉄製のバーといい、戦前デザインです。
表に井戸の跡らしきものがあります。
煉瓦は五光星の刻印入り。浜寺昭和町で見た煉瓦と同じ刻印です。
この家は前の住人の方が出られたばかりだそうです。次の借り手を募集するにあたって、大家さん親子で、簡単な改修をされていたところでした。
家賃なども教えていただきましたが、そこそこ広くて、戸建てで駐車場付きですし、悪くないのでは?という感じでした。
・・・でもやっぱり隣の方がいい!
この家は昭和10〜12年頃に建てられたそうです。
「貸さないのですか?」と訪ねると、引き合いは多いそうです(やっぱり)。自分で改修するからと建築士を連れてきた方もおられるそうで、改修費用は1800万円ぐらいだろうとか。でも大家さんから「やめときなはれ」と断られたそうです。そうおっしゃる気持ちも分からないでもありません。かくして、今も空き家のまま。
玄関ポーチはアーチになって、腰までの豆タイル。
2階のサッシも木製で、右手にベランダもあります。
1階の窓。
壁面のタイルは網代のような模様です。郵便受もあります。
玄関は素敵な豆タイル・パターン。
表の柵はコーティングがはがれて煉瓦積みというのが分かります。
煉瓦の刻印は、近所の旧天王貯水池(上の地図の「浄水池」)などでよく見かける日本煉瓦(株)製らしき四弁花です。
などと未練がましく紹介してみました(笑)
私が隣の家のことばかり話すので、
息子さんが「せっかくなので見ていただいたら」とおっしゃって、中も拝見できました。
35年ほど空き家のままとのことで、室内の畳なども歩くと沈みましたが、建物本体はしっかりしているようです。素人目ですが、傾いたりはしていません。補修しようとするとかなりたいへんなのはよく分かりますが、それにしてもこのまま朽ちてしまうには惜しい。
大家さん、突然のお邪魔で見せていただいてありがとうございました。
どなたか興味ないですか?
右隣の家は問題なく借りられます。
堺東駅、三国ヶ丘駅、堺市駅、新金岡駅が徒歩圏内なので、交通はかなり便利で、静かな住宅街ですよ。
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コメント
こんばんは。
おー、またまた興味深い記事が!
南三国ヶ丘町4・5・6丁あたりは歩いたことがあるとしても1~2回だけですね。
へぇーっ、まだこんな”隣の方の”お宅も残っているんですね。面白い。
借りたりする余裕は全くありませんが、外観だけでも見に行かなくては。
投稿: ひろ009 | 2010年4月 6日 (火) 22:37
ひろさん、こんばんは。
これだけ外観がオリジナルに近い状態で残っているのも珍しいのではと思います。
この家は東向きで夕方には逆光になりますので、午前中に写真に撮っていただければと思います。
投稿: びんみん | 2010年4月 7日 (水) 00:52