西国街道の近代(1)石橋〜軍行橋
池田市の石橋駅をスタートして、西国街道を歩きました。
近代のものだけを取り上げるわけではありませんが、いつも通り近代のものに注目します。
道はゆるく下っていますが、このように西国街道(左側)は微高地を通っています。
石橋で2棟並びの洋館付き住宅がありました。
やはり石橋は洋風住宅の多いところです。
幹線道路を渡るとこんもりした森があります。
亀之森住吉神社です。
創建は宝亀元年(770年)。このあたりは昔は海で、亀の森は小島だったとの伝承があります。海がここまで来ていたのは相当昔と思いますので、猪名川の氾濫で水に漬かった状況を示すのでしょうか。住吉神社というと航海の神様ですが、今は向かいにインターチェンジができて交通の神様、「大阪空港の産土神」でもあるそうです。
拝殿前の灯籠は嘉永2年(1849年)のもの。
龍のレリーフが施されています。
このあたりは昔は北轟木という村だったようですが、現在は住吉という地区です。
小さな公園に22年前の「おもしろマップ」が掲げられていました。試みは面白いと思いますが、錆びて退色が進み、おもしろさが分かりにくくなっています。
順正寺の前で振り返ったところ。
奥に見える森が、亀之森住吉神社です。
このあたりは水路がきっちり整っているようです。
ちょっと寄り道して見かけた洋館付き住宅。長屋の一部ではないでしょうか。
亀の森の次は駒の森。
駒の森十二神社です。十二神社というのは、熊野三山の十二所権現にまつわるものが多いそう。神社合祀政策で明治42年に合祀され、昭和21年に復活したそうです。
境内には昭和18年につくられた防空壕があります。
長さ10m×幅3〜4m×高さ2mの大きなもの。
当時は神社ではなかったわけですね。
飛行場と池田のダイハツ工場に挟まれているので、空襲に備えるのは当然と言えば当然。
この先、街道は中国縦貫自動車道に分断されているものの、街道の慣性か、地下道でつなげられています。地図でルート確認したときはどこで渡れるのか心配でしたが杞憂でした。
地下道をくぐれば旧の北今在家。
再び池田市による西国街道の案内板があります。
ちなみにトンドバは、小正月のとんど焼きを行った場所のことです。
箕面川を渡ります。
天井川のようで、この時は水が見えませんでした。
川の向こうは下河原。
伊丹市に入ります。
ずっしり感のある門が気になりました。
洋館の似合う門です。
浄源寺の大銀杏は街道の目印。
このあたりは歴史的景観が連なっています。
金属を思わせる造形の持ち送り。
何製なんでしょうね。
どの建物にも「伊丹市都市景観形成建築物」のプレートが貼ってあります。
こちらは「下河原の旧地名」という案内板。
こちらは文政(1818〜30年)頃の下河原の絵図の案内板。
市が変わると街道の案内板もがらっと変わるのが面白いところです。
池田市が歴史・民俗系とすれば、伊丹市は歴史絵図系。かなり力が入っています。
軍行橋に到着しました。
視界が一気に開けて、開放感があります。
旧街道はもっと下流で川を渡っていましたが、今は渡れないので軍行橋を渡ります。
軍行橋以降は次回に。
<昭和4年修正測図 2.5万分の1「伊丹」>
参考に今回歩いた場所を昭和4年と現在の地図で示しておきます。
より大きな地図で 西国街道 を表示
<関連ブログ>
私の記事では省略した落語のことや下河原の建物を詳しく紹介されています。
十三のいま昔を歩こう
「西国街道を歩く(5)北轟木・北今在家」
「西国街道を歩く(6)下河原の都市景観形成建築物」
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