目白文化村とその周辺
引き続き、『目白・下落合 歴史的建物のある散歩道マップ』を手に、郊外住宅地の目白文化村に向かいました。
いったん武蔵野台地の下に降りてみます。けっこう急坂。
おとめ山公園が気になり、寄ってみました。
「乙女山」ではなくて「御留山」。江戸時代は将軍家の狩猟地で、立ち入り禁止という意味の「御留」です。明治以降、西側を相馬家が所有して、大正3年に公園設計で有名な長岡安平が庭園を設計したそうです。武蔵野の谷が生かされています。結局公園になったというのが面白いところ。
薬王院裏の階段を登って再び台地の上に出ました。
いい眺めです。
谷をもう一つ越えると目白文化村です。
目白文化村は堤康次郎(西武グループ創業者)が、大正11年(1922年)に分譲を開始した郊外住宅地です。開発会社は箱根土地(株)(いまのコクド)。
空襲被害を受けましたが、今も一部の住宅が残っています。
回った順はバラバラなので開発順に紹介します。
○関連ブログ
目白文化村については、「目白文化村」サイトに非常に詳しく紹介されています。
なので、この記事では簡単に。
まずは第一文化村(目白不動園)から。
武蔵野台地に谷が入りくむ地形で、上の写真のような弁天社も住宅地に取り込まれています。
弁財天は水に関わりの深い神様です。
このように窪地がそのまま住宅地の地形に反映されています。
玄関と出窓の桟が美しい住宅。
お隣も洋風住宅です。
こちらも窓の桟が洋風の意匠です。
第一文化村のすぐ隣にある住宅。
玄関扉がすてきです。
第二文化村の大きな洋館ですが、表札が外されていて空き家のようです。
大丈夫でしょうか。
第三文化村の最南端。
この広い空き地にもお屋敷があったようなのですが。
裏にある下見板張りの住宅が見やすくなりました。
喜ぶべきことではないですね。
第三文化村の近くにある画家の佐伯祐三アトリエ。
佐伯公園として整備されていますが、平成21年7月21日から平成22年4月27日まで、改修工事のため閉鎖されています。見られなくて残念。
北の方には長崎アトリエ村がありますし、画家が多く住んだのですね。
もっとも長崎アトリエ村は大部分が低湿地の借家らしいので、文化村周辺の方が条件が良さそうです。
第四文化村内の階段です。
階段や門柱、塀などは残りやすい。
紹介した以外にも古い建物はあります。
各文化村は大きな道路で分断されていますが、中に入るととても静かです。
アップダウンが大きいので歩き回るのは大変なものの、眺めが良く、木々も多く、散策するのに魅力的な街でした。
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コメント
こんばんは。
目白文化村のことは全く知りません。
でも、東京でも公園めぐりや住宅めぐりは色んな発見があって楽しそうですね。
アップダウンが凄そうですが。
投稿: ひろ009 | 2010年2月22日 (月) 21:31
ひろさん、こんばんは。
私も目白文化村のことはよく知らなくて、『目白・下落合 歴史的建物のある散歩道マップ』に記載されていたので行ってみた、という経緯です。
東京の近代の公園や住宅ももちろん古いので、面白いですね。関西とどう違うのか比較する楽しみもあります。
投稿: びんみん | 2010年2月23日 (火) 00:27