飛鳥山公園で空中散歩(東京都北区)
日も暮れかかっていますが、王子(東京都北区)の飛鳥山公園を歩きました。
飛鳥山公園は明治6年に公園として指定された東京の5公園のひとつです(あとの4つは上野・芝・浅草・深川)。もともと徳川吉宗が鷹狩場だった山に桜を植え、元文2年(1737年)、庶民に開放したもので、それ以来桜の名所として知られていました。
さっそく歩いてみましょう。
JR王子駅から歩き始めると、目の前にガラスの建物があります。これは昨年(平成21年7月)にできた飛鳥山公園モノレールです。乗ってみたいのですが、既に運行時間を過ぎていました。
仕方ないので(でもないけど)歩いて登ります。
公園の線路側には行楽地としての賑わいを偲ばせる店が並んでいます。
公園全体はこのようになっています。
博物館も3つありますし、渋沢栄一邸跡もありますので、見どころがたくさんあります。もう少し時間を確保して来るべきでした。
より大きな地図で 近代の公園 を表示 ※今だけかもしれませんがちょうど桜の季節に撮影されているようです。
グーグルマップで見るとこうなっています。
街に浮かぶ島のようです。
頂上部の細長い山で、遊歩道が続いています。
桜の花どころか、冬なので枝ばかり。ただ、傾いた夕陽が美しい光と影を描いています。写真では分かりにくいと思いますが、木々の間から家並みが見え、空中散歩をしている気分で楽しい。
公園の北端には飛鳥山の山頂モニュメントがあります。
標高25.4mらしい。
公園の北にはさっき乗ってきた都電荒川線が走る旧音無川(石神井川)の谷、その向こうの丘には王子神社があります。
公園の東側は崖で、昔はかわらけ(土器)投げをやっていたそうです。地上の的を狙って素焼きの皿を投げる遊びです。今やると電車に当たるので危険。
公園内にはいくつも石碑が建っています。
まずこちらは飛鳥山の碑。飛鳥山の由緒が記されています。元文2年(1737年)に徳川吉宗の功績を称える目的で建てられたそうです。江戸時代から「読めない」ことで有名だったらしい。
石材は紀州徳川家献上らしいので、ひょっとして紀州青石?
碑文を拡大してみました。
読めますか?
次いでこちらは桜賦の碑(明治14年)。
門弟・吉田松陰の密出国の企てに連座して蟄居中だった佐久間象山が、桜の美しさにたとえて愛国の志をうたった詩を、勝海舟が命じて碑にしたものだそうです。
これは船津翁の碑(明治33年)。
群馬出身の農事家で、明治10年に駒場農学校に招かれ、農事試験場の設置、植林と山林保護、養蚕業の改良、石垣苺の栽培法考案など、全国の農事改良に多大な功績があった人だそうです。
三碑三様というのか、それぞれに違った意義をもつ石碑ですね。
公園の西側は緩やかな段差があります。
石垣が組まれ、石組みの噴水などがありました。
この階段に使われているのは伊豆六方石でしょうか。
六角柱の石です。
渋沢栄一旧邸は、既に閉まっていました。
左の建物は茶室の晩香廬(大正6年)。土曜日の午後に内部公開しているそうなので、公園内の渋沢史料館と合わせて再訪せねば。
こちらは書庫の青淵文庫(大正14年)です。同じく土曜日の午後に公開。
ところで、公園内に気になる石がありました。
これです。オブジェ風に構成されていますが、菱形の穴が2ヶ所ずつ開いていて気になります。
ベンチにされているこの石も同じです。
この穴には木か鉄の棒が差し込まれて、公園の柵に使われた石材だったということも考えられそうです。
旧渋沢庭園に加えて、謎も残りましたし、いずれ飛鳥山公園は再訪したいと思います。
今回の東京編は以上で終わり、次回からまた大阪に戻ります。
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