西国街道の近代(2)軍行橋〜伊丹坂
西国街道歩きの話を続けます。
軍行橋という変わった名前は、明治44年(1911年)に猪名川をはさんで陸軍大演習が開かれた際、演習用に架けられた橋だからだとか。昭和9年にも架け替えられています。現在の橋はいつのものなんでしょう。
この橋の上からの眺めはほんとに広々としています。
さらに大阪空港を離陸した飛行機が、ちょうどこの橋の上を越えて左旋回していく、ダイナミックな光景が見られます(通常の離陸方向の場合)。
このように大阪空港の着陸誘導灯が猪名川の河原まで伸びているのも面白い眺め。
大阪空港は、昭和14年(1939年)、大阪第二飛行場として開設されました。
橋を渡ると工場地帯・・・だったのでしょうが、今は大きなホームセンターが建っています。
堤防上の道をしばらく歩きます。空が広い。
昔の西国街道は軍行橋より下流で川を渡っていました。
ちなみにこの先に伊丹市の北村水源地があります。
昭和11年からある、伊丹で一番古い水源地です。
明治までは軍事演習ができるぐらい何もなかった猪名川両岸は、昭和初期に急速に開発が進んでいったようです。
土手の下に石碑が並んでいるのが見えたので近づいてみると、中央は「新建石橋碑」という記念碑です。なぜか年号が削られています。ここに石橋を架けて旅人の苦しみを除きたいという願文が書かれているそうです。この向こうあたりが西国街道の渡しです。
土手を降りて、北村水源地と松谷化学工業(昭和9年〜)の前を通り、JR宝塚線を越えます。
JR宝塚線のこの区間は、明治26年に軽便鉄道となった摂津鉄道に始まるようです。
(いい写真ではありませんが)
目の前に壁のように伊丹台地の段丘崖が迫ってきます。見通しのきく明治時代まではかなり印象的な光景だったのではないでしょうか。
段丘崖にたどりつく前に多田街道との辻があります。
その名も辻村という集落です。北にお堂が見えたので近寄ってみました。
辻の碑(いしぶみ)という石が祀られています。
地面には摂津の国の絵図がはめこまれています。
これが何を意味するかというと、真ん中の赤い四角がここ辻村で、東西南北の赤い四角は摂津の国の端、つまり辻村は摂津の中心ということです。ちょっとうれしい。
伊丹市の案内板はいたれりつくせりですね。
段丘崖にたどりつきました。ここは伊丹坂と呼ばれます。キリが良いのでここで西国街道歩きを中断しました。段丘崖の下を遊歩道が巡っていますので、そちらを歩くことにします。
このように以前は石橋と伊丹は同じ道で結ばれて行き来があったのに、鉄道路線を基準に考えるとずいぶん違った結びつきになってしまったものです。
<昭和4年修正測量 2.5万分の1地形図「伊丹」を加工>
最後に今回歩いた道を昭和4年と現在の地図で示します。
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コメント
軍行橋
由来教えていただきました
ありがとうございます
いまの
地震後に半分新しくなりました
投稿: ゆ | 2015年11月21日 (土) 09:06
ゆさま
初めまして。
半分は地震後のものなんですね。
教えていただいてありがとうございます。
投稿: びんみん | 2015年11月22日 (日) 02:32