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2010年1月18日 (月)

相生めぐり(7)旭の社宅街

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相生めぐりの最後は旭地区です。
繰り返しになりますが、相生はIHI(かつては播磨造船所)の企業城下町で、旭地区はその中心です。ここに社宅街がありました。

南から、まず飲み屋街、そして行政地区などがあります。
IHI(そして播磨造船所)は湾の南にあり、橋が架かっていましたので、ここが会社の帰り道ということになりますね。相生での造船業の全盛期は昭和47年頃だったそうです。当時はかなり賑わっていたことでしょう。
(適切な写真ではありませんが)

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<大正14年測図 2.5万分の1地形図「相生」>
※クリックすると拡大します

大正14年の地図を見ると、市役所のあるあたりはまだ海です。
この頃、藪谷(今の旭)、那波村の南には整然とした街区が描かれていて、これが社宅街ではないかと思います。とくに藪谷ではメインストリートに商店街ができていることがうかがえます。



<現在の地図>

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再び現代へ。北に歩いて行くと、まず旭センター街のアーチが現れます。
商店が並んでいて、コープやスーパーもあります。

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さらに進むと本町のアーケードです。
大正14年の地図で濃く描かれているところで、古い商店街でしょう。

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今はちょっとさびしいですが。

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こんなお店もありました。
1938年というと昭和13年です。
「サ」が10個で「サトウ」という語呂合わせも戦前らしい。

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この商店街の両側に社宅街のおもかげを見ることができます。
右はモダンな銭湯の「辨天湯」。開いてないようです。
左奥には広めの戸建て住宅がありました。

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東側。2階建ての板壁の長屋がずっと並んで壮観です。

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西側。平屋の長屋が多数。夕方の光で懐かしい気分になります。

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冬の陽は傾くのが早く、ここで相生を後にしました。
入りくんだ地形と企業城下町という条件が掛け合わされて、相生は個性的な街になっています。
別にど根性大根で売り出さなくても、ほかに売れるものはありそうです。(よそ者がどうこう言うことではないですが)
次は連絡船に乗りに来たいと思います。


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コメント

古地図があれば歴史散歩もさらに楽しそうですね。

図書館で手に入れるんでしょうか?

投稿: 英ちゃん | 2010年1月19日 (火) 20:45

はい、古地図があると、かなりいろんなことが分かります。
入手方法は、
1.古書店(古本市)で買う
2.図書館で手に入れる
3.国土地理院の旧版地図の謄本交付を使う
 2.5万分の1、5万分の1についてはこちらで調べられます。
4.大きな書店で古地図の複製版として売られているのを買う(主要な地図のみ)

 私は主に1です。
 2.5万分の1地形図の大正時代や昭和初期のものでも300円ぐらいで売っていたりします。

 あと、もしご存じなければぜひ見ていただきたいのが、国土地理院の空中写真閲覧サービスです。

 とくに1947年、48年に米軍が撮影した写真は、戦前までの開発状況や戦災の有無が分かりますので、重宝しています。
 例えば1947年の網干周辺

投稿: びんみん | 2010年1月20日 (水) 01:49

大変参考になりました、ありがとうございます。

古い航空写真、すごいですね。
昔の山陽網干駅周辺はなんにもなかったんですね~。

さっそく今週にでも図書館に行ってみます。

投稿: 英ちゃん | 2010年1月21日 (木) 20:31

英ちゃんさま、こんばんは。
こういう写真が自由に見られるのはすごいなと思います。

もう一つ補足すると、
国立公文書館デジタルアーカイブのデジタル・ギャラリーも古い絵図や戦災概況図などがオンラインで見られて便利です。

投稿: びんみん | 2010年1月22日 (金) 01:45

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