東淀川の不思議空間(前編)
石橋の話は少し後に回して、東淀川の話を先にします。
JR京都線の東淀川駅から阪急京都線の淡路駅まで、気になる場所をめぐってきました。
そこは不思議な空間です。
出発点のJR東淀川駅については以前に取り上げたことがあります。
東に歩いて行くと、工事中の幹線道路、そして神社の参道と交差します。
参道には寛政8年(1796年)の灯籠一対が立っていました。
<明治18年測量の地図に現在の鉄道を記入(貨物線は省略)>
※線路の位置は自信ないので参考程度にご覧ください
昔の地図を見ると、この参道沿いが引江の集落だったことが分かります。
参道と別の旧道が交差する角にはタバコ屋さん。
定位置ですね。茨木のセンダンの木陰のタバコ屋さんを思い出しました。
参道は延長された幹線道路で分断され、その向こうに小さな森があります。今は神社ではなく、須賀の森公園となっています。大きなクスノキは楠木正成にちなむものらしいのですが、案内板の文字が薄れていてよく分かりません。
公園の真ん中には須賀神社跡の碑が立っています。
裏には明治43年1月13日合祀と刻まれていて、明治末の全国的な神社合祀の際に合祀されてしまったことが分かります。淡路の氏神だった須賀神社は中島惣社(神社)に合祀されたそうです。
合祀後も境内は大事にされていたのでしょう。
昭和37年になぜか分かりませんが大阪市の要請で公園となったそうです。(須賀の森公園碑の裏に書いてありました)
その後、都市計画道路が通されて、公園も半分削られました。作りかけの道路というのは、不思議な空間です。今は静かな境内ですが、幹線道路はあと少しでつながりますので、そうなるとここも騒しくなるでしょう。
周辺にも所在なげな空き地があります。
再び引江の集落へ。
これ何か分かりますか。「引江ゆ(湯)」と書いてあります、というか細長い金属板を曲げてあります。面格子に通じるもので、鉄工所の仕事でしょう。しゃれたデザインです。
淡路駅に向かう道沿いには崩れかけた洋風長屋がありました。
古そうな工場事務所。
もう一つの目的地はこれです。
知っている人は知っている高射砲台跡住宅。
場所は確認していましたが、やっと来ることができました。どこからアプローチしていいか分からず、ぐるっと回って北側からようやく近づくことができました。
この写真で左右に1基ずつあるコンクリートのかたまりが台座です。全部で4基。昭和19年、柴島浄水場や延原兵器工場(延原倉庫)などを守るためにつくられたそうです。
ここも都市計画道路が迫っています。
間は路地になっていて、なんとも不思議な空間。
路地の反対側から見るとコンクリートの構造物が上をまたいでいて、これはなんでしょうか。
台座の一つは工場の中に取り込まれているのが見えましたが、工場内なので写真はやめました。
高射砲台跡住宅については、いろんな方が書いておられますので、詳しい説明は省きたいと思います。
○関連HP・ブログ
大阪日日新聞「戦争遺跡の戦後」
まちかど逍遥「奇跡の高射砲住宅」
「柴島浄水場と高射砲住宅」
ひろの東本西走「柴島浄水場、高射砲跡住居」
十三のいま昔を歩こう「高射砲陣地跡と天然記念物」
須賀神社跡もですね。
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