街道の交差点・相可(三重県多気町)
松阪市の射和(いざわ)とは櫛田川をはさんで対岸に、多気町相可(おうか)の町があります。
2つの町は両郡橋で結ばれ、今は一つの町のようです。
まさに2つの郡(飯野郡と多気郡)を結ぶ重要な橋ということでしょうね。
向こうが相可の町です。
相可の町は、伊勢本街道と射和から渡ってくる熊野街道バイパスルート(たぶん)との交差点でした。
そのため、宿場町の雰囲気が色濃く残っています。
両郡橋を渡る途中、相可側50m上流に見える煉瓦の橋脚が気になりました。
現在の両郡橋は3代目で、1代目は明治21年に、渡し船があった100mほど上流に架けられたといいます。明治41年に2代目、昭和32年に現在の橋が架けられました。
やや距離が近く思えますが、2代目両郡橋の橋脚でしょうか。
川の中程にも倒れた橋脚のようなもの、対岸の射和にも煉瓦の橋脚が見えます。
橋脚には階段が付いています。
これでは歩く人しか無理?
ちょうど街道の交差点には道標が2つと井戸があります。
左右が伊勢本街道で、奥が熊野街道。
こちらは同じ辻で伊勢本街道の奈良側を向いたところです。
街道らしい町並みが残っています。
「まつかさ餅」の看板が見えますでしょう。
きれいに撮れてませんが、これがまつかさ餅です。
餅の表面に米粒が付いていてユニーク。
こしあんに黒砂糖が入っていて、やさしい味です。
相可を訪問された方はぜひ。1日しかもちません。
さて、相可の伊勢本街道筋を奈良方面に歩いていくと、木造の古い医院がありました。
古い医院は残して、向かいに新築されたようです。
軒先の瓦には透かしの玉が。
もとは獅子がいたんでしょうか。
鬼瓦も立派です。
伊勢風の押し縁下見板の蔵です。
この蔵も瓦を見ると軒に凝った飾りが入っています。
菊水でしょうか。
食物調理科の高校生レストランで有名な相可高校を過ぎて、小川の手前で大きな椋の木が立っています。
宿場の目印になっていたのでしょうね。
こういう風景にはとくに心ひかれます。
この橋を下から覗き込んでみました。
大正10年代の橋です。
こんな小さな橋ですけど、存在感がありますね。
町の境ということで、このあたりで引き返しました。
簡単な紹介にとどめましたが、伊勢本街道の街道筋はいい雰囲気の町並みです。
ついでに近代建築ということでは、ちょっと離れた多気町行政ゾーンに、多気町郷土史料館として、昔の多気郡役所が移築(おそらく)されています。かなりきれいな状態です。
てっぺんに獅子でしょうか、瓦の動物がいます。
瓦の飾りを見るのも、古い建物では楽しみのひとつです。
中万(ちゅうま)・射和・相可の訪問記は以上です。
それぞれに違う町並みが味わえました。この一帯から江戸に店を構える大商人が生まれたという背景を知るには、もう少し丹念に調べないといけないようです。
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コメント
やっと龍野のアップが終わりました。
昔の建造物を見て、色々考えながら歩くのも面白いものですね。
いつアップできるかわかりませんが、昭和初期に網干の町を走っていた路面電車をただ今調べています。
投稿: 英ちゃん | 2009年12月15日 (火) 20:36
英ちゃんさま
龍野の連載お疲れさまでした。
なかなかコメントが追いつかなくてすみません。
歩くうちに色々発見があって楽しいですよね。
網干の路面電車をお調べですか。
だんだんはまってこられましたね。
投稿: びんみん | 2009年12月15日 (火) 23:39