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2009年12月 8日 (火)

伊勢白粉の町・射和(三重県松阪市)

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松阪市の中万(ちゅうま)から射和(いざわ)に入ります。
射和は伊勢白粉(おしろい)または射和軽粉の生産で知られていた町です。
白粉の原料は水銀を含む土。上流の丹生では昔から水銀を産出していました。奈良の大仏に金めっきをするとき使われたのも丹生の水銀だそうです。

 

伊勢白粉は室町末期にピークを迎えたのち、薬用としての活路を見いだしますが、次第に衰退していきます。伊勢白粉で蓄積した富を元に、伊勢商人としていち早く江戸に進出したのが中万・射和の商人で、呉服商、味噌・醤油商、両替商などとして活躍したとのこと。多くの豪商を輩出しました。

 

その活躍は今に至っており、食品卸の国分株式会社のルーツは射和の国分家、ちくま味噌のルーツは中万の竹川家だそうです。

 

上の写真は少し洋風の入った、おそらく近代の町家です。

 

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懐かしい自転車やさんのある通りは駅前通の雰囲気。

 

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この道を歩いていくと、バス停に出ます。
ひょっとしてと思った通り、昔、射和駅があった場所らしいです。

 

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射和駅は、昭和39年に廃止された三重電気鉄道(三重交通)松阪線の駅で、大正元年に三重軽便鉄道大石線として開業したものです。大石の材木を、櫛田川に丸太を流していたのに代えて、松阪の大口港まで輸送する路線だったようです。
今よりずっと交通が便利だったことが分かります。

 

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再び射和の中心部へ。
このあたり、旧家が並んでいます。
右奥が国分家、左がいわば私設図書館の射和文庫をもつ竹川家。

 

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射和の町は櫛田川の水面よりかなり高いところにあります。
射和にとっては舟運が重要で、川に降りていく石畳の道が残っていました。

 

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対岸には多気町の相可の町があり、両郡橋で結ばれているのですが、その一本西側の道に道標が立っています。
左は「まつ坂みち」(松阪道)、右は「久ま野ミち」(熊野道)と書かれていて、ここが昔の大きな交差点だったように見えます。

 

今は静かな町ですが、かつての賑わいはそこここに感じられます。

 

 

 

 

 

 

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コメント

私は、よくお隣の宮川をカヌーで下りに
来てたので
この界隈は、何度か通過してるだけで
よもやこのような風景が点在しているとは
知りませんでしたわ!!

投稿: 路爺 | 2009年12月11日 (金) 17:43

路爺さん、こんばんは。
あちこちの川をカヌーで下られているんですね。
今後、出かけられるときはぜひお立ち寄りを。
次の相可の記事もご覧下さい(日曜更新予定)。

投稿: びんみん | 2009年12月12日 (土) 00:35

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