豪商の中万(三重県松阪市)
櫛田可動堰を渡った後、櫛田川左岸堤防の道を上流へ歩いていきました。
中万(ちゅうま)の集落に入り、最初に目にしたのは丸石積みの石垣でした。
川の側なので、それはそうでしょう。
建物は伊勢でよく見る、押し縁下見板(横板を縦の角材で押さえている)の壁です。
集落の中央を貫く道を歩きます。蔵が現れてきました。
ここで注目したいのは、蔵本体より、土台の石垣です。
亀甲に近い積み方をしています。
石垣の中でも亀甲積みは高価だと聞きます。
こちらは伊勢風の美しい蔵。
やはり亀甲積みです。
この蔵はT字路の突き当たりに建っているのですが、その向かいの道に洋風下見板の離れ(?)を見つけました。
出窓もあり、デザインは戦前のものに見えます。
元の道をさらに進むと道がクランク状になっていて、灯籠が立っていました。灯台のような灯籠です。大正7年建立の字が彫られていました。
ここでも切石の土台です。
土壁がむき出しになった蔵。
それにしても蔵が多い。
このあたりが中万の中心地でしょうか。
美しい伝統的街並みです。
すぐ裏手は櫛田川の堤防です。
この中万の中心地に富山家住宅があります。
この規模の大きいこと。
富山家は江戸にも呉服の店を出していた豪商だそうです。
「伊勢の射和(いざわ)の富山さまは、四方白壁八棟造り、前は切石切戸の御門、裏は大川船が着く」と江戸のわらべ唄に歌われたほどらしい。その雰囲気は十分感じられます。切石も歌い込まれているのが面白いところです。
射和と中万は、上流にある丹生の水銀を原料とした伊勢白粉(おしろい)の産地で、そこで蓄積された富が豪商を育てたようです。
その勢いが明治にも続いていたことを感じさせるものがあります。
集会所の庭に保存されている古い鬼瓦です。
こちらは役場の鬼瓦。明治22年までは「中万村」でした。
こちらは中万学校の鬼瓦。
なんとこの学校は、明治初年の開校です。
最後に地図を示しておきます。
中万にも櫛田川の川港がありました。
中万も射和も町は川沿いに長く伸びて、ほとんど接しています。
次は射和に向かいます。
| 固定リンク
「国内旅行(三重)」カテゴリの記事
- 街道の交差点・相可(三重県多気町)(2009.12.13)
- 伊勢白粉の町・射和(三重県松阪市)(2009.12.08)
- 豪商の中万(三重県松阪市)(2009.12.06)
- 櫛田可動堰を渡る(三重県松阪市)(2009.12.03)
- 東海(愛知、三重、岐阜)(2009.08.12)
コメント
いい町並みですね~好きな風景です。
蔵の中にお宝が眠っていそうで気になります。
投稿: 英ちゃん | 2009年12月10日 (木) 14:05
英ちゃんさま、こんばんは。
いい町並みでした。
立派な蔵が2つあるお屋敷もありました。
たまたま通り道だから見ましたが、目的が射和・相可だったので、逆コースならわざわざ行かなかったかも。
この町並みは見る価値あると思います。
投稿: びんみん | 2009年12月11日 (金) 01:22
興味深く拝見いたしました、写真資料共素晴らしく、感動しています、史実も正確です。
投稿: laquinta0657 | 2011年2月15日 (火) 19:02
laquinta0657さま、初めまして。
まだまだとは思っておりますが、おほめいただきありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: びんみん | 2011年2月16日 (水) 00:06