友ヶ島第4砲台跡(和歌山市)
第3砲台跡を出れば、後は第4砲台跡のみ。
しかし、既にいろいろ紹介しましたように、島には砲台跡だけでなくいろいろな遺構があります。例えば、この穴などやはりわざわざ掘ったものではないでしょうか。ちょっと不気味。
他に探照灯(サーチライト)跡といって、夜間、敵艦を照らし出すための設備の跡があるのですが、入る道を間違えて下まで降りてしまいましたので、今回探訪はあきらめました。
下にはまた芝生のキャンプ場があります。
第4砲台跡は少し離れていて、島の東側の山にあります。
再びゆるやかな道を上っていきます。
木々の切れ目から神島が間近に見えます。
以前にも書きましたが、加太淡嶋神社がもともとあったとされる島です。
この道は沖ノ島(この島)の東にくっついている虎島まで続く本道で、途中、鋭く切り返すように、第4砲台跡に向かう道がついています。
歩いていくとすぐ壁が現れました。
昔は建物が建っていたのかもしれませんが壁だけ。
そこから左に折れると門と、向こうに崩れた建物がありました。
瓦屋根が落ちてしまっているので中には入れません。
崩れた建物の右横に掘りこまれた道があり、また弾薬支庫らしきものが現れます。
ここは小規模です。明治23年に着工して、明治25年に竣工した砲台だそうです。ただ、終戦まで使われていた他の砲台と違い、大正時代に既に放棄されたという記述も見ました。
奥まで行って後ろを振り返ったところ。
ここには誰もいないので、遺跡に浸れます。
またこれも第3砲台跡で見たような構造の地下入口と階段がありました。
井戸の跡?
ここに刻印がありました。
放射状の五本線は堺煉瓦の刻印です。
これで大阪の代表的な煉瓦会社は揃い踏みです。
井戸から先、道は左回りに台地を回って裏側には井戸のある広場がありました。
草に覆われて砲座の跡などもあるようです。
位置関係をよく把握できないまま撤退しました。
その後も落ちている煉瓦に気はつけていましたが、六光星の刻印はとうとう見つけることはできませんでした。
絶対ないのかというと、ないとも言い切れないのですが。
残念ながら、もう戻らないといけません。
路側に石を並べて整備された道を歩きます。
ちなみに路側の石は道路を開くときに出た石らしいというのが、この露頭を見ると分かります。
ほぼ見るべき所は回りましたので、16時30分の最終便を待たず、15時30分の臨時便で加太に帰りました。
六光星の刻印の煉瓦を確認するという最大の目的は達成できませんでしたが、友ヶ島の砲台跡などの遺構群は非常に見応えがありました。友ヶ島砲台については、たくさんの人が私よりずっと詳しく解説され、美しく写真に撮られていますのでご覧になってみてください。そしてできれば実際に見に行ってみてください。懐中電灯をぜひお持ちになって。
六光星の刻印についてはまた別の手がかりを探そうと思います。
お読みいただきありがとうございました。
この旅はもう少し、加太の話を続けます。
この続きは、「加太砲台など」
(追記)
2009年11月14日に南海電鉄が主催の友ヶ島ウォークが開催されるのですが、50人の定員が10月中に既に満席。人気が出ているんですね。(2009.11.1)
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