友ヶ島第3砲台跡(和歌山市)
いよいよ友ヶ島第3砲台跡−最も規模が大きく、整っている砲台−に入ります。
タカノス山から降りてくると、2つの池が目に入ります。
まるで庭園のようですが、池になっているのはたまたまで、ここは大砲の置かれていた砲座の跡です。大砲が撤去されたくぼみに水がたまったという訳です。
裏側なんですけど、降りてみることにしました。
大砲の据えられていた空間をぐるりと煉瓦の壁が取り巻いています。
向こうにトンネルが見えます。
興味をひかれてトンネルをくぐってみました。
トンネルの先にはまた大砲の置かれていた空間があります。
ここは乾いた庭です。
さらにトンネルをくぐると沼地のような中庭。
映画だったら沼からワニぐらい出てきそうな不気味さです。
もう1つくぐってそれ以上進めなくなり、横の土手を登って表側の通路に降りました。
表に出てみるとしっかりした案内板が立っていて、ようやくどうなっているのかが分かりました。私は右上のメガネ型の中庭(砲座)に降りて、左端の砲座までくぐったわけです。
こういう配置図があれば非常に分かりやすいのですけど、設置されているのはここだけです。
第3砲台は、明治23年に着工して明治25年に竣工したそうです。
全体配置が分かったところで先に進みます。
通路は所々掘りこまれて地下に入口が口を開けています。
これは先ほどの砲座につながっていたと思われます。
今はふさがれていますが。
階段は石で、角が丸められています。
丁寧に作られていますね。
先に進むと一段下がって、弾薬支庫が連続する空間です。
友ヶ島の砲台ではここの写真が最もよく紹介されていると思います。
煉瓦の構造物、そして絡まる緑が美しいので。
私が気に入ったのはこの階段です。
とても美しいカーブ。
突き当たりは行き止まりのように見えて、左側にトンネルがあります。
トンネルを抜けて振り返るとこんな感じです。
ルートが逆ですね。
トンネルを抜けると、屋根の抜けた廃屋があります。
これは発電所の跡らしいです。
そしてその斜め前には監守衛舎跡、あるいは将校宿舎跡。
煉瓦と木造折衷の住宅です。
危険なので中には入れませんが、覗き込むことはできます。
ここは炊事場の土間でしょう。一部畳が張ってあったであろう床が分かります。
ここでもやはり煉瓦の確認を忘れてはいけません。
先ほどの煉瓦の弾薬支庫はきちんと残りすぎていて刻印は確認できませんでした。
地面には住友マークの貝塚煉瓦、住宅脇の壁には×印の岸和田煉瓦。
ここでは日本煉瓦(堺市)と推定される四弁花の刻印もありました。
しかし、これだけいろんな種類があるのにどうして六光星の刻印はないんでしょう。
出口は切り通しになっていて、いざとなれば閉じられるようになっています。
いや出口ではなくて、ここが入口なんですね。
全く逆ルートをたどってしまいました。
この第3砲台跡はさすがに見応えがあります。
オンシーズンといってもここまで登ってくる人は少なく(多くは海水浴と磯遊び)、静かに煉瓦建築にひたれました。
*ところでこの記事で500本目の記事となりました。
ここまで4年ちょっと。記事が1000本を越えるとステージが上がるそうなので、1000本に向けてこつこつ書いていきたいと思います。
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