住友の新居浜(3)昭和通りを歩く
新居浜の山田社宅を見た後は、海岸に向かって歩きました。
途中にあったのは新居浜市立別子銅山記念図書館。
別子銅山開坑300年を記念して、1992年に住友グループ21社から寄贈されたそうです。
敷地は4000坪以上という旧泉寿亭跡(昭和12年築)で、玄関と客室の一部は、同じく300年記念でつくられた記念館・マイントピア別子に移築されているそうです。
海岸近く、東川の向こうには住友金属鉱山別子事業所があります。
ここが別子での本部ということになります。
この別子事業所の正門前から、V字に2本の道が伸びています。
1つは敷島通り。板壁の木造建築がちらほらと見られます。
もう一つは昭和通り。
昭和初期にできて、住友金属鉱山事業所と社宅を結ぶ通勤路として、当時、新居浜で一番の繁華街だったそうです。残念ながらあまりその雰囲気を感じることはできません。戦災に遭ったわけではないようですが。戦前においてはこの通りから海岸側が市街地だったようです。
→国立公文書館HP「戦災概況図新居浜」 ※全国主要都市戦災概況図というのが公開されているとは今まで知りませんでした。
これは参考になりそうです。
空き地の向こうに古い建物。休憩用にベンチが置かれています。この道を出勤した従業員の方も今はこのベンチで休まれたりするのでしょうか。
海に向かって庇型アーケードの商店街がありました。
昔は賑わっていた通りのよう。
1軒、看板建築らしきレリーフ入りの商店がありました。
そこから1本入ったところには昭和の街角があります。
右の建物は呉服店です。
再び昭和通りで、60〜70年代風の一角。
商店街がアーケード型の集合建築に建て替えられています。
昭和通りに直交する形で登り道サンロードという大きなアーケード商店街があります。
古くは別子銅山から銅鉱石が運び下ろされ、生活物資が銅山町に運び上げられた道のようです。
この道の脇に、一宮(いっく)神社があります。
古くから大山積神を祀る由緒ある神社です。
境内は広く、大きなクスノキがあって、非常に雰囲気のよい神社です。
今回はこのぐらいで引き上げましたが、次に来ることがあれば、登り道のさらに先、別子銅山や海岸部の市街地、新居大島などを歩いてみたいと思います。
>西条編「水と祭りの伊予西条」に続く
| 固定リンク
「国内旅行(愛媛)」カテゴリの記事
- 水と祭りの伊予西条(2009.11.15)
- 住友の新居浜(3)昭和通りを歩く(2009.10.18)
- 住友の新居浜(2)圧巻。山田社宅(2009.10.17)
- 住友の新居浜(1)中心市街地?(2009.10.13)
- 宮の浦と大山祇神社(2007.10.21)
コメント
地方の商店街を歩いてみると広告看板や
店のつくりを観察すると
昭和**年頃、町がピークになっていたことがわかりますね。
見た感じ70年中旬から町が止まっている感じでしょうか?
投稿: 路爺 | 2009年10月20日 (火) 01:19
路爺さん、こんばんは。
ありますね、1960年代、70年代で止まっている街。
かなり多そうです。
一時の旅人には魅力的ですが、40年も止まっているというのはすごみがあります。
投稿: びんみん | 2009年10月20日 (火) 01:46