友ヶ島上陸(和歌山市)
前回の続きです。
終戦記念日の8月15日、要塞のあった友ヶ島を訪れました。
目的は煉瓦の刻印を確認するためです。(→「六光星を追って津守へ」からの流れ)
友ヶ島は紀伊半島と淡路島の間、紀淡海峡に浮かぶ4つの島(沖ノ島、地ノ島、虎島、神島)の総称です。上の写真で左が沖ノ島、右が地ノ島です(奥が淡路島)。船が大阪湾に入る交通・防衛の要衝のため、明治22年以降、友ヶ島には紀伊半島側、淡路島側とともに砲台が設けられました。その砲台が煉瓦でできているわけです。以後、友ヶ島は第2次大戦の終結まで一般人の立ち入りが厳しく制限された要塞の島でした。
今回訪れたのは沖ノ島です。
今は海水浴とキャンプの島になっています。
(他の島には公共交通はありません)
交通手段は友ヶ島汽船(株)の船のみ。
通常期は1日4往復、GWと夏場は7往復に増便されます。
(冬場は2往復のみ。火・水は運休)
運賃は往復2000円でした。
戻ってくるしかないので往復で買います。
やや高めですが、やむなし。
この日は夏休みなので50人ぐらい乗っていたでしょうか。
結局、弁当を買うことができず、港の売店でスナックを買って乗り込みました。
加太の漁港を後にします。
船は地ノ島と小さな虎島の間を抜けます。この写真は虎島。
虎島は満潮時に水没する道でかろうじて沖ノ島とつながっています。
今回は訪ねませんでしたが、虎島にも保塁跡があります。
沖ノ島の北側に浮かぶ小さな神島。
加太の淡嶋神社はもともとここに祭られていたそうです。
加太淡嶋神社はできれば後日紹介します。
船は20分ほどで北岸にある野奈浦の桟橋に到着しました。
港はここだけです。先に到着している人たちもいて賑わっています。
ここで地図を確認。左下が北なのでご注意を。
曲線の先が現在地・野奈浦です。
さっそく砲弾がお出迎えです。
友ヶ島の第3・第4砲台に配備されていた8インチ砲の弾丸と説明されています。
ここ野奈浦には民宿・友ヶ荘が冬季を除いて営業しています。
実は食堂があって、ここで昼食を食べることはできるのでした。
灯台の近くにもう1軒、冨士屋という民宿・食堂もあります。
島には何もないと思いこんでいました。
もちろん自販機もありますし、缶ビールすら売っています。
あと、もう1つの思いこみは、見るべきものは5つの砲台だけだと思っていたことです。実際には他にも様々な建物・遺構が残っているんです。
例えば野奈浦の奥にもこのような建物群があります。
奥に煉瓦の煙突なども見えますでしょう。兵舎だったのでしょうか。
近づくとこのようになっています。
当然ながら立ち入りは禁止です。
今はどう使われているのでしょう。
この建物は恐らく便所。
島のあちこちで見かけました。
片側だけ腰まで煉瓦を積んでいるのが特徴です。
広場の奥にある縦板の木造建築。
押し縁下見板の木造建築。
桟橋を振り返ると、ちょっとした芝生の広場が広がります。
この広場も軍事用に使われていたのでしょうね。
あるいはもっと建物があったのかもしれませんが。
一休みしたら島内の探索に出発します。
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コメント
友ケ島水道は、淡輪から折りたたみ式のカヤックで加太まで
漕いだことがありますが、流れが川なみで焦りましたわ
漕いでいると横で子どもが止まっている・・・なんやこいつ?
と思ったら潮の流れに逆らって泳いでいるもんだから
止まって見えるんですね(^^;;
あと水道から出る部分には、1m以上格差のある
潮の目ができてまして、あわや転覆かとひやひや・・・
機会がありましたら片道切符で島から加太に戻ってみたいもんです
あ、二人乗りもありますんで、よろしく~(^o^)b
投稿: 路爺 | 2009年9月27日 (日) 10:15
路爺さん、おはようございます。
友ヶ島水道をカヤックで走られたんですか!
見た目以上に危険な海なんですね。
二人乗りですか。ありがたいですが、もう少し穏やかな海か川でお願いします。
投稿: びんみん | 2009年9月27日 (日) 10:39