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2009年8月10日 (月)

河川敷跡の城北公園(大阪市旭区)

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千林大宮を訪ねた日(→千林大宮商店街の周辺昭和12年の江野公園)、一番の目的は城北公園を見に行くことでした。この公園は昭和9年に開園した公園で、当初は豊里公園と呼ばれたようです。

 

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<明治18・19年測量図>

 

この公園の場所はもともと淀川の河川敷でした。
明治18年の淀川の大洪水後、淀川の改修工事が進められ、淀川の流路が整理されました。

 

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<昭和2年 大大阪市街地図>

 

昭和2年の地図を見るとよく分かりますが、この時点でまだ、新しい堤防に締め切られた河川敷跡が残っています。旧河道の名残で、一部は東淀川区だったんですね。(この地図は周辺部がデフォルメされています)

 

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<大阪市土地区画整理図集(昭和6年)の北船場土地区画整理事業図に加色>

 

大阪市の東北部で市街化が進むとともに、この河川敷跡も整備されることになりました。それが昭和4年に組合設立・工事着工した北船場土地区画整理事業のようです。この時点で城北公園(当時は豊里公園)も計画されています。河川敷跡に残っていた水路を付け替える形で水路(江野川)が計画されています。

 

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<昭和16年 大大阪市街地図>

 

昭和16年時点の地図。
かなり市街化が進んできました。

 

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<昭和16年 大大阪市街地図の公園付近拡大>

 

昭和16年には城北公園の表示になっています。
この時点でひょうたん池があります。
公園内の右下に「植物園」の文字も見えます。

 

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公園の変遷が分かったところで、公園を歩きます。
植物園と書かれていたところ、今は桜林があります。
桜の季節には桜の天井になりそうです。

 

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城北公園といえば、今は菖蒲園で有名ですね。昭和39年に開園しました。ここだけは有料です。
盛りを過ぎてますのでと申し訳なさそうにおっしゃってましたが、十分きれいに咲いていました。

 

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今は公園の真ん中を菅原城北大橋(平成元年完成)が突っ切っています。
この下ではカラオケが行われていました。音響効果が良さそうではありますが。

 

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ひょうたん池は、小島も含めて今も残っています。池の側では将棋です。
公園を巡り歩いていると将棋を指すおじさん方はよく見かける光景ですが、ここの水辺将棋は格別に気持ちよさそうです。

 

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子供たちには遊具も。浅間山型とでも言えるでしょうか、すり鉢状の滑り台がありました。

 

ただ残念だったのは、城北公園では記念碑など古い構造物が一切見つけられなかったことです(広いので見落としはあるかもしれません)。
城北公園は戦争で荒廃し、戦後再整備されました。

 

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城北公園のいいところは、公園内にとどまらずに淀川の河川敷と一体化していることです。
もともと堤防の道を介して毛馬桜之宮公園とつながるようになっていました。

 

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目の前にワンド群が広がっています。
ワンドというのは、意図的ではないものの、人工的にできるものらしいですね。
城北公園や区画整理地区も含めて、一帯が淀川改修の記念物といえそうです。

 

 →ウィキペディアのワンドの説明

 

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ところで、公園の南、中宮4丁目に気になる建物がありました。
住宅あるいはアトリエで、コンクリートブロック積みのようです。
木製の上げ下げ窓の上には、まぐさ石(開口部にかかる荷重を受け止めるための水平部材)があり、角を窓にするなど、古そうです。妙に大きな長方形の煙突もあります。

 

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上の写真では分かりにくいと思いますので、壁面を拡大してみます。
自然石風のブロックが積まれているのが分かりますでしょうか。
誰か建築家が関わってそうなのですが、どうでしょう。
どなたかご存じありませんか?

 

 

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コメント

こんばんは。
江野川跡のことを検索していたらこちらにたどり着きました(笑)。
最近仕事で守口あたりに行くことが多いので淀川改修跡が
よく目につくのですが、もちろん古地図などの資料を
持参しているわけはなく・・・(笑)
いろんな年代の地図を一堂に並べてみるとよくわかりますね。
江野川についてもネット検索では確かな資料が見つからないのですが、
区画整理にからめて農業用水路を整備したもののようですね。
元の淀川河川敷内水路を生かしているのかはよくわかりません。
しかし土地区画整理図とかレアな資料をお持ちですね。

投稿: ぷにょ | 2012年3月26日 (月) 01:25

ぷにょさん、こんばんは。
城北公園から来られる方は時々おられますが、江野川跡から来られましたか(笑)
もう少し毎度、地図を並べられると良いのですが、その時の余裕に応じて地図の量が増減します。
この土地区画整理図は昭和6年時点の地図で、その後実現しなかったものもありますが(結果については大阪市HPの土地区画整理区域図の方がいい)、従前の地図と計画図の重なりがよく分かるので重宝しています。
大阪市立図書館で所蔵しています。

投稿: びんみん | 2012年3月27日 (火) 00:39

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