初めての北海道(2)帯広に寄り道
遅くなりましたが、北海道旅行の報告の続きです。
新千歳空港の非日常に留まるのはもったいない気がして、すぐに一駅先の南千歳に向かいました。ここで途中下車。しかし、意に反して駅前にあるのは巨大なアウトレットモール・レラ(公式HP)のみです。通路のテーブルにはトランプをしている(たぶん)香港からの観光客。ここが帰国前の最終立ち寄り地点になるのかもしれませんね。
私はフードコートで札幌ラーメンだけ食べて戻りました。
ここから特急とかちで、帯広をめざします。
新千歳空港の近くにはレンタカー各社の巨大な駐車場が並んでいます。
ここが北海道の入口であることを視覚的に実感させます。
(これ以降、車窓越しの写真で汚くてすみません)
車窓はすぐに郊外の風景に転換。
これからエゾシカなど野生動物の多い区間を走るので急ブレーキをかけることがあるというアナウンスが流れます。
各座席に車内販売のメニューがあって、JR北海道の車内販売は妙に充実しています。
列車は日高山脈を抜けて十勝平野へ。
十勝平野に入ると、駅ごとに煉瓦倉庫が目に付きます。
退屈する間もなく帯広に到着しました。
帯広に立ち寄ることに決めたのは出発後だったので、実は何の下調べもありません。
(持参したガイドブックは帯広のページがないという)
帯広に六花亭の本店があるのは、行ってから知りました。
小豆、小麦、牛乳、バターなど、農畜産物が豊富で、スイーツなどが充実してるんですね。
(私にはあまり関係ないけど)
釧路行き特急の出発までは1時間あります。まず駅の観光案内所でマップと情報の収集をしました。
「帯広の旧市街地はどこですか?」と尋ねると、「旧市街というべきものはないけれど、発祥地は市街北東部で河川港に近い水光園のあたり、昔は大通がメインストリートで、今は駅前通の西2条通が中心」と教えていただけました。
時間の許す限り、北東方面に歩くことにしました。
○関連情報
→帯広市HP「語り継がれた帯広の歴史」
帯広市HP「帯広市の都市計画のあゆみ」
帯広がどこから発展していったのかが分かります。
がらんと街頭放送が響く西2条通を歩き、藤丸百貨店の4つ辻を曲がって、タウン8広小路という唯一らしきアーケード街に入りました。古そうな商店街があります。
銀座通あたりには60〜70年代テイストのデザインが見られます。
アーケードを抜けると薬局。
タイルの赤十字、角の曲面、3本の帯など、印象に残るデザインです。
戦後の古い時代の建築ではと思います。
ここで左手に、強力に時間を引き戻す下見板の住宅が目に入りました。
あまり改造されていないようで、これはすごい。
庭木に隠れて出窓もあります。
上げ下げ窓で手すりも洋風。和洋折衷の住宅です。
・・・そのときはこれだけで満足していたのですが、帰ってから『道東の建築探訪』(2007年)で調べてみると、旧野口医院の住宅部分らしい。でも素晴らしい洋館(昭和4年)が記憶にない。なぜ?とネットで調べると、かたろうさんのブログ「おいしい北海道」で「旧野口医院解体」の記事を見つけました。昨年(2008年)7月に解体されていたのです。
見たかった・・・。見逃しただけだったらまだましだったのに。
さらにその先の角には改造された洋館がありました。
腰折れの屋根窓が遠目にも目立ちます。
北海道の建物は瓦屋根が少ないので、壁から下が同じでも、受ける印象が違いますね。
円柱にメダリオン(メダル型装飾)、曲線で交差する格子と、なかなかすてきです。
窓の下のバルコニー風レリーフに花柄のレリーフなど、細かくみると装飾的。
大正時代っぽいデザインに見えるんですが、どうなんでしょう。
このあたりで時間なので、大通まで引き返します。
十勝信用組合は文句なしの近代建築。手入れも行き届いています。
かつての安田銀行帯広支店で、昭和8年につくられたそうです。
これが見られたら、寄り道した甲斐があるというもの。
ペディメント(窓上の半円部)は何やら海の生物を思わせる軟体性の模様です。
大通を駅に向かうと、商家の町家を改装したような吉川商店がありました。馬具商というのが北海道らしいです。
急ぎ足で帯広駅に戻ったのですが、乗るべき特急は20分遅れだとのこと。
最初から分かっていれば、もっと足を伸ばしたのに。
余った時間は駅ビルの店を見て回りました。
こういうとき、地元書店で郷土の出版物を見るのが楽しみです。
北海道はとくに地方出版物が多いようですね。
でも書店で気になったのが「宝塚コーナー」
いったいどんな縁が?と思って店員さんに尋ねると、宝塚ファンのサークルがあって、その方々の要望が多かったのでコーナーをつくったのだそうです。
まさか帯広で見かけるとは。
約束通り(?)20分遅れで特急おおぞらが到着。
後で乗客の会話を聞いたのですが、遅れた理由は、線路に子牛が迷い込んだためらしいです。北海道らしい。
やがて線路は丘陵地を抜け、太平洋岸に出ました。
後で知りましたが、帯広と釧路を直結するこのルートが、十勝川河口の大津を衰退させ、釧路を繁栄させたそうです。
20分あった遅れを6分まで縮めて、釧路に到着。
夏の遅い夕暮れも、既にこの地に訪れていました。
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