浪速区の2つの公園
津守煉瓦跡を見に行ったついでに、浪速区の戦前の公園2つを訪ねました。
まず、浪速西3丁目にある浪速西公園(浪速栄公園)です。
昭和16年に開園しました。
小さな公園で、公園は浪速神社の境内と一体です。
北側から見ると全てが神社みたい。
神社の本殿。
浪速神社は、中央区の坐摩神社の境外末社です。
ここは昔の渡辺村にあたり、渡辺村の人たちが、元々の渡辺の地(大阪城の近く)から移ってきたことと関わりがあるようです。天満橋には坐摩神社の旧社地があります。
でも現在地に神社ができたのは、そう古くはないようです。
<大正10年測図 大阪・中部実測図>
緑で囲んだところが公園です。
大正時代の地図を見ると、ここには学校があったことが分かります。
昔の渡辺村の南側にあたります。
<大正13年発行 大阪市パノラマ地図>
パノラマ地図では、前に十三間堀川が流れている様子がよく分かります。
学校が移転した後に公園になったのでしょう。
より大きな地図で 近代の公園 を表示 現状です。
もう少し公園の中を見てみます。
土俵があるのが戦前の公園らしい気がします。
その隣には忠魂碑があります。
日清・日露戦争での戦病死者の名前が刻まれているとのこと。
これもどこかから移されたのでしょう。
境内末社に並んで、空襲犠牲者の供養塔(昭和52年)、無縁仏供養の五輪塔(昭和60年)など。
その中に橋の親柱がありました。
行書体で読みにくいのですが、芦原橋?
でもこんなに小さい?
大正風デザインに見えます。
公園北側の東西道路には、「渡辺道」の標柱が立っていました。
昔は渡辺村と大坂の町を結ぶ唯一の道だったそうです。
また近くには帆掛け船をかたどったモニュメントがあります。
渡辺村は皮革の集積地であり、西日本一帯の皮革の海の玄関口であったことを解説しています。
次は、久保吉の芦原公園です。
昭和18年に開園しました。
この写真は南側から見たところ。
あまり人のいない静かな公園です。
シンプルなデザインの水飲み場。
こういうデザインは好きです。
人造石研ぎ出しのようです。
<大正13年発行 大阪市パノラマ地図>
この場所は、元々は大日本紡績工場でした(赤で囲んだ範囲)。
その一部を買収して芦原公園になっています。
福島区の下福島公園のケースと似ています。
ちなみに南隣は、新田長次郎の新田帯革製造所(ベルト製造)。
より大きな地図で 近代の公園 を表示 現在の様子です。
公園の東の入口。
公園の中には野球場があるのですが、その周りがジョギングコースになっています。実際、ジョギングをしている人もいました。
なかなかいい雰囲気のジョギングコースです。
しかし、公園内に記念碑など興味深いものは発見できず。
昭和18年では遅すぎるようです。
公園の北側には、久保吉水防用具庫がありました。
この辺りも対岸の大正区同様、水害の備えが重要な地域ということでしょう。
水に流されないようにか、外側に擁壁を立てた独特な形です。
味のある建物だと思います。
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