答志島・答志の路地(鳥羽市)
4月、とあるツアーで、三重県鳥羽市の答志島に出かけました。
答志島というのは、鳥羽の沖合2.5kmに浮かぶ周囲26.3km、面積約7平方kmの細長い離島です。島には答志、和具、桃取の3つの集落があり、鳥羽港から市営の定期船で、近い桃取・和具なら15分、今回出かけた答志でも30分の手軽な船旅です。
この日は天気に恵まれ穏やかな旅でした。
答志の港に入ると、小高い丘と松が目に入ります。
こんなに小さくても、もとは離れ島だったようです。
昭和初期に島を訪れた砂田代議士がこの松を惜しんだことで残され、「砂田松」と呼ばれています。規模は違いますが、浜寺の松は大久保利通が惜しんで残されましたので、そういう時代もあったのですね。
そして、この丘には港を見つめる石像があります。
観音様でしょうか。いい風景だなと思います。
答志島は漁業の島です。観光の島でもあります。
答志地区の中心部。
答志島の人口は約3000人で、そのうち半分は答志地区に住んでおられます。
平地は少ないので密集して暮らすことになります。
この日は春霞がかかっていますが、お天気はよく、遠くに神島が見えていました。
近づいてみると密集具合がよく分かります。
このような狭い路地が縦横に。
旅人には魅力的です。
路地裏を「島の旅社」のガイドさんに案内していただきました。
狭い路地で活躍するのがこの手押し車。
「じんじろ車」というそうです。ほんとにたくさん見かけます。
鉄工所のオーダーメイドなので、1台3万円ぐらいするそうですよ。
収納スペースにぴったりサイズ。
答志島は伊勢と同じく注連縄を1年中飾るそうです。
集落には銭湯もありました。
旅館にはもちろんお風呂がありますが、こういうところで入るのもいいかもしれません。
お風呂屋さんの戸の脇に炭で書かれた丸八の印。
これは答志の風習で、八幡神社の祭りで炭を奪い合い、その炭を使って家などに丸八の印を書いて魔除けにするそうです。至る所にあります。
玄関の両脇に木製の部材が取り付けてあります。
これは省スペースのために、門松を取り付ける器具だそうです。
いろいろ工夫されていますね。
ちなみに上の旗立てからぴょこんと飛びだしているのは2本のめざし。
これも魔除けで、窓の数に応じて立てておくそうです。
古い慣習がいろいろと残っています。
離島で切実なのが水の確保です。
今は鳥羽市から海底の水道管で送水されているようですが、以前は水が貴重でした。
ですから、あちこちに井戸が掘られています。
面白いのが陶器製の井戸枠。
どこで作られているんでしょうね。
煉瓦製の井戸枠もあります。
また歩いていて気になったのが、青石の石積です。
地図で確認すると答志島は中央構造線のすぐ南で、青石を産するようです。
路地裏ツアーの後は漁港の方へ。
ワカメ漁の季節で、ワカメやメカブ(ワカメの付け根)がたくさん干されていました。
奥にある青い小屋は、海女小屋だそうです。
海女さんが休憩などに使うスペースです。
今は観光用の海女小屋なども作られていて、ツアーに参加すれば中で食事ができるようになっています。
こちらは、天日干しのひじき。
港に並んだタコ壺。
タコ壺漁は年中行われているそうです。
生業が活き活きと行われているのを見るのはうれしいものです。
とくに答志島は漁業がまだ元気なようで、季節ごとに多様な漁が見られます。
いつもは「昔、○○が盛んだった」という過去の記憶を追う旅が多いので、今回はその意味でも新鮮でした。
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