南朝史跡の北畠公園(大阪市阿倍野区)
大阪市阿倍野区王子町3丁目にある北畠公園を紹介します。
(昔の熊野街道と重なる)あべの筋に面する面積1897m2の小さな森です。
最寄り駅は阪堺電車上町線の東天下茶屋駅か北畠駅。阪和線の南田辺駅はちょっと離れています。
入り口には立派な石の標柱で「史跡 北畠公園」とあります。
昭和14年11月竣工と刻まれていて、公園の開設は昭和15年1月1日です。
入り口を入ると道がL字に伸びています。
左奥に何かがあるのが見えます。
奥には「北畠顕家公墓所」がありました。
北畠顕家公は、後醍醐天皇の建武の新政の時代(1333〜1336年)、16歳で陸奥の守として奥州に下ります。1335年、反乱を起こした足利尊氏を討っていったんは九州に敗走させますが、九州から反攻した尊氏に後醍醐天皇は京都を追われ、1338年、再び奥州から出撃した北畠顕家は、堺の石津の戦いで戦死します。享年21歳。
この墓所は、太平記などの伝承により、江戸時代の学者・並川誠所の提唱で、享保年間(1720年頃)に建てられたものだそうです。
説明板が何枚もあって、北畠顕家公の事跡や上奏文が紹介されていました。
ちなみに標柱は大正8年のもの。
墓所の向かいに公園の由来を記す石碑が立っていました。
内容は次の通りです。
昭和三年七月同志相謀リ北畠卿顕章会ニ集シ墓域拡張 修築ノ為篤志家ノ寄付ヲ勧奨シ其額五千四百余円ヲ得 タリ依テ年次祭典ヲ行ヒ墓域隣楼ノ民屋並宅地ヲ買収 シ以テ浄化拡築ヲ図ラムトセシニ時恰モ大阪市ニ於テ 史跡公園トシテ経営セラルルニ会セリ是ニ於テ其買収 ニ係ル宅地三十二坪八合ト残余金千二百円ヲ以テ事務 所六坪ヲ建設シ之ヲ大阪市ニ寄付セリ而シテ会計事務 ハ副会長田中直藏之ヲ掌理シ是ニ全ク結了ス依テ石ニ 刻シテ大方各位ノ高志ニ酬ユト云□ 昭和十五年五月二十二日 北畠卿顕章会長正六位勲三等 武岡充忠誌 宮川黄石書 |
※旧字体は新字体に変更しました。
つまり、有志の方々が北畠顕家公の墓域拡張のため、募金を募ってお墓の隣地を買収するとともに、6坪の事務所を建て、大阪市に寄付して公園としたということのようです。
敷地の隅にあるこの建物が6坪の事務所にあたるものではないでしょうか。
この施設では、地域の文化教室が開かれているようです。
顕信塾とありますが、北畠顕信(北畠顕家公の次弟)にちなむ勉強会でしょうか。
地域に根付いた施設になっていることが分かります。
裏門の向こうには路地。
王子町の住宅地へと続いています。
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