新潟ふゆ歩き(6)下町(しもまち)へ
今回、新潟の旅の最後は下町(しもまち)方面に歩いていきました。
とくにテーマもなく、とりとめなく。
Uさんから下町はいかがですかというご提案をいただき、お勧めには無条件に従ってみる方針の私は、そちらに向かったのでした。新潟で上というと白山神社の方で、下は水路の下流なんでしょう、北の方です。下町方面は、昔は花街があったようです。
(写真の順番は分かりやすく入れ替えてあります)
まず本町通を歩いていきました。
気になった片桐小路の朱色のダクト。
とてもインパクトがあります。
御祭堀のK邸。大きなお屋敷です。
波模様のブロック塀に海が近いことを感じます。
少し離れて湊町通の裏手。
蔵のようで、洋館風でもあり、でも新しそうな不思議な建物。
最近の流行なのでしょうか、古い洋館風の新築をちょくちょく見かける気がします。
彌五左衛門金刀比羅(ことひら)神社。
文政4年(1821年)、廻船問屋・鈴木彌五左衛門の船「白山丸」が、島根県大海崎沖で暴風雨に遭いました。船が沈没寸前になったとき、金刀比羅大権現が現れて、暴風雨が止み、船に金の御幣が残されたそうです。その御幣を祀ったという神社です(説明板より)。
北前船の港町ならではの神社といえるでしょう。
古いはずがないけれどレトロ感の漂う住宅。
もしかして洋館付き住宅を建て替えたときに元の意匠を生かしたのでしょうか。
元祝町の願随寺。
湊口にある大きな寺ということで外国使節の接待場所とされ、安政6年(1859年)4月22日に来航したロシアの軍艦ジキット号、翌日来航したオランダの軍艦バーリー号(案内板の説明ではどちらと会談したのかよく分からず)、10月に来航したイギリス船2隻の船長たちとの会談場所となり、新潟の最初の対外交渉の場となったそうです。
方向転換場所かもしれませんが、ちょっと考え込む丸印。
海岸の松林。
海沿いには砂丘だった丘があり、松林が続いています。
その向こうには寒々とした(実際は寒くないのですが)海岸が広がっていました。
昼間はいいお天気だったのに、既に冬の空。
さあ帰りましょう。
次はどの季節に新潟を訪ねることになるでしょうか。
新潟の皆さまにはたいへんお世話になりました。
とりとめない記事となりましたが、お読みいただいた皆さまもありがとうございます。
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