萬福寺のかたち(宇治市)
1ヵ月ほど前、大阪都市文化研究会(都文研)の歩く会で、宇治を歩きました。
今回は万福寺から六地蔵まで。萬福寺のデザインが興味深かったので紹介します。
萬福寺は、江戸時代の1654年に中国から渡来した隠元禅師が、1661年に開創した禅宗(黄檗宗)の大本山です。中国は明末・清初の時期にあたり、萬福寺は明朝の様式で建てられた日本では珍しい伽藍です。(→萬福寺公式HP)
最初の写真は、一番表にある総門(1693年再建)です。
この窟門(1768年)など、角の丸い中国風です。
中国っぽさを感じさせるのが、この整然とした石畳です。
正方形の白い石を◇◇◇に並べ、両脇は緑がかった切石(石條)で囲んでいます。緑の石材は、宇治川河床から採れる宇治石(輝緑凝灰岩)という石臼などに使われる材があるそうですが、ちょっと違うかな。
この石畳は龍の背のうろこを表しているそうで、伽藍の軸を貫き、総門前には龍の目として2つの井戸があります。風水的な発想です。
このように至る所に同じ石畳で統一されています。
日本の石畳だと変化を付けたりすると思うのですが、全体を一つの意志で統一するのが中国風かもしれません。
石畳は最後に法堂(1662年建立)まで続いています。
同じく法堂。卍くずしの匂欄が印象的です。
法堂の横にある、格子のはまった丸窓。
東側回廊に開梛(かいぱん)と呼ばれる巨大な木の魚が吊されています。日常の行事や儀式の刻限を知らせる法器だそうです。萬福寺を代表するキャラクターになっていて、お土産物にこのデザインが多く使われていました。
どこから見ても中国風の香炉。
桃の模様が使われているのも特徴です。これは大雄宝殿(1668年建立)の桃戸。
桃は魔除けの意味があるそうです。
開山堂の垂れ幕にも桃が使われています。
境内の西側に石碑がありました。
中国でよく見かけるタイプの石碑です。
今の今まで、これは亀だと思っていたのですが、贔屓(ひいき)といって、龍の九匹の子の一匹なんだそうです。贔屓って動物だったのか・・・
→wikipediaの贔屓の項
境内の石畳はほとんどが最初に紹介した龍のモチーフの石畳なのですが、一ヶ所だけ違う石畳があります。
氷烈文(氷裂文?)という氷が割れたような不規則な文様です。
開山堂(1675年建立)は、隠元禅師を祀るお堂で、この石畳は開山堂に向かう道に使われています。氷烈文は日本海の波濤を表しているようです。(隠元が渡ったのは東シナ海を長崎までのようですが)
日本のお寺と違うデザインがそこかしこに見られるのが、萬福寺のひとつの楽しみ方かなと思います。
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