尼崎近代建築ラリー
尼崎運河博覧会を見たあとは、元浜の旧集落から阪神武庫川駅へと出ましたが、長くなるのでそれは省略して阪神尼崎駅から始めます。尼崎中心部にある近代建築ラリー(比喩です)をしました。
近代建築巡りの前に、駅の南に少し寄り道しました。老舗のヒノデ阿免(あめ)本舗さんがあります。「何を売ってるんですか?」と聞くほど無知な客でしたが(ヒノデ河虎と読み間違うし・・・)、試食させていただいて説明も聞いて水飴を買って帰りました。商品は水飴と固形飴のみ。とくに水飴は原料がもち米だけというシンプルさ。やさしい味がしました。
途中、道路に気になるコンクリート柱がありました。
多角形の装飾で金属を巻いてあって、由来が気になります。
駅からは外堀を兼ねる庄下川を挟んで尼崎城跡の石垣(模擬復元)が見えます。
渡ったところにはレンガ倉庫があります。
ここから近代建築ラリーをスタート。
明治37年の旧阪神電鉄発電所です。
道のすぐ脇に立っているので煉瓦をよく味わえます。触ることもできます。
ひろさんに教えていただいた、うさぎはりの門柱のうさぎ。すぐに分かりました。駅と学校の間なので学生たちの思い出の風景ではないでしょうか。
地味ながら、尼崎市立城内高校(昭和12年)の裏門です。
両側に溝を切ったシンプルなアーチ。
一方、旧尼崎警察署(大正15年)の裏門はてっぺんがラジエーターのような角柱。
大正らしくデコレーションが豊富です。
なんとなくミニミニ大阪府庁という感じがしたのですが。同い年です。
旧尼崎警察署の隣から裏は三の丸公園で味のある雰囲気になっています。
これで警察署が活用されればいうことないのですが。
向かいには旧尼崎高等女学校(昭和8年・13年)。この日は休日だったのですが、車で入っていく先生(?)がおられたのでその隙に。玄関脇に八角形の窓が見えます。
城跡をぐるっと回って、尼崎藩主桜井松平家を祀る桜井神社へ。
ここに博愛社(のちの日本赤十字社)記念碑があります。それは西南戦争の際に尼崎藩主桜井忠興が私財を投じて医師・看護夫を派遣し、敵味方の区別なく負傷者を手当てしたことをきっかけとする博愛社設立に深く関わっていたためで、日本赤十字社の事務所は当初東京の桜井邸に置かれたそうです。明治20年のことです。日本赤十字のルーツが尼崎にあったとは初めて知りました。
また明治22年には尼崎で最初の幼稚園として、桜井神社の中に博愛幼稚園が生まれたそうです。幼稚園に安置された博愛地蔵が神社にあります。(桜井神社自体は国道43号線の建設で移転して現在地に来たそうです)
庄下川の開明橋を西に渡って、大正6年の大津表具店(旧向井眼科院)。
ほとんど飾り気がありません。壁面に「開明医院」の文字が消え残っていました。
向かいは船のような旧尼崎市立開明小学校(昭和12年)。今は尼崎市役所の出張所になっています。もとの運動場が公園として開放されていますので、外観をよく見ることができます。
そのまま西に進んで寺町に入ったところを南へ。
旧尼崎信用組合本店(明治33年頃)のかわいらしいまでに小さなレンガ建築があります。今は尼崎信用金庫記念館です。元の位置からは50m北に移設されているそうです。
その並びには旧尼崎信用組合新本店(昭和5年)です。角の取れた丸っこい建物。
そのさらに並びには本町ビル・旧尼崎共立銀行本店(大正12年。プレートにはなぜか大正5年と書かれています)。椿本ビルとも呼ばれていました。
びっくりしました。というのは、ガイドブックに出ていた色と全然違うから。『近代建築散歩 京都・大阪・神戸編』(2007年)に「2階へ直接入るための外部階段や赤い塗装がいただけない・・・将来の美改修に期待」と厳しく書かれているのですが、それに応えたのでしょうか。外部階段は取り払われ、白とグレーの外観に吹き付け塗装をされています。
玄関上部の装飾。マス目にうずまきの抽象的な模様が入っています。
近代建築巡りはここまで。
旧中国街道に沿って西に進み、貴布禰(きぶね)神社に立ち寄りました。ルーツは京都の貴船神社で、長洲の貴布禰神社→北城内の尼崎貴布禰宮屋敷→江戸時代に現在地と移って来たようです。尼崎の惣氏神として尼崎藩主に信仰されたような立派なお社です。
その境内に備前焼(伊部焼)の狛犬がありました。備前焼の狛犬を見ると瀬戸内海海運とつながっていたことがイメージできます。
また寺町の南の筋を戻ってきたところで、この見つけものがありました。
もとはお医者さん? 洋風町家といえましょうか。花のような窓のレリーフに、アーチやバルコニーのようなレリーフ、近代建築ビルのモチーフを貼り付けたような町家です。
どこかで見たような気がするんですけど、何でしょう。山内ビル(外部リンク)でしょうか。他にも見たような。
ちょっと面白いなと思ったのは1階庇のなみなみが、そのまま2階出窓下のなみなみに続いているようなところ。花のような窓には斜めに格子が入っています。
窓の木の格子も何かで見たような。家具かな。
この建物があるのは、旧尼崎信用組合本店のすぐ近くです。
最後に予定外のものがあって満足なまち歩きとなりました。
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コメント
初めてコメントします。
最後の住宅は、地元の建築家前川悦三のアトリエ兼自邸だったそうです。前川悦三は『日本近代建築総覧』にも作品が掲載されています。その中で武庫小学校中校舎は現存しています。
その上の本町ビル(旧尼崎共立銀行本店)が竣工したのは大正12年のようです。建物に貼り付けられているプレートにある大正5年は何かの勘違いだと思います。
失礼しました。
投稿: agen | 2008年10月11日 (土) 21:40
agenさま
貴重な情報をありがとうございます。
建築家のアトリエでしたか。武庫小学校は、武庫之荘にでも行く機会があれば訪ねてみたいと思います。
検索してみると1940年築という情報が引っかかりました。
本町ビルは解説書と食い違うなと思いつつ・・・
直しておきますね。
ご指摘ありがとうございました。
またお越しください。
投稿: びんみん | 2008年10月11日 (土) 22:02
こんばんは。
本町ビル・旧尼崎共立銀行本店の写真、あれ?こんなビルあったかな?と思ったら、何と椿本ビルですか。私もこれにはビックリ!
花のような窓のレリーフのお宅、私もここを通りかかったときに面白いと思いました。
投稿: ひろ009 | 2008年10月14日 (火) 21:56
ひろさん、こんばんは。
椿本ビルには驚きますでしょう?
なんか変装して名前も変えて別人になりすましているみたいですね。
投稿: びんみん | 2008年10月14日 (火) 22:45
こんにちわ、旧尼崎警察署ですが、37年ほど前にはこの建物で剣道や柔道をやってましたね。さらに隣の公園では平屋の剣道、柔道場があり、旧警察署に移る前はここでやってました。なつかしいなー。
赤レンガの建物の前を竹刀を担いで通ったものでした。
稽古後は駄菓子屋さんでファンタを40円で飲んだことを覚えています。
ヒノデ河免は前々から気になっていましたが、飴屋さんだったのですね。そうでしたか、、、。情報をありがとうございます。
投稿: hannibal | 2010年3月28日 (日) 14:28
hannibal様、はじめまして。
旧尼崎警察署で剣道や柔道ですか。
警察官の方はよく剣道や柔道をされますので、ぴったりといえばぴったりな場所ですが。
貴重なお話をありがとうございます。
それぞれの建物が、一連の思い出でつながっているのですね。
ヒノデ阿免(あめ)は、話す職業の方に好まれているそうで、選挙前などよく売れると聞きました。
投稿: びんみん | 2010年3月28日 (日) 22:38