初瀬街道の近代−長谷寺
長谷寺門前町の門をくぐると(長谷寺の門ではありません)、旅館、旅館風の建物が連なり、長谷寺に着いた気分が強く感じられました。参道は結構、距離があります(1kmほど)。国道ではサイクリングの自転車と多くすれ違いましたが、ここでは徒歩の参拝客・観光客が多く行き交っています。意外と一人旅の人も多いようでした。
歩いていくと、右手、川向こうの尾根上に長谷山口坐神社があります。長谷山の鎭(しずめ)の神社で、大山祇の神をまつり、また元伊勢(伊勢神宮が現在地に落ち着くまでに転々と遷座したという伝承の地)の磯城伊豆加志(厳橿)本宮伝承地域の碑も立っています。仏教以前の歴史の重なりを感じさせます。
参道の左手に、茶房長谷路という和風喫茶店がありました。山田酒店という古い酒屋さんの併設です。
門を覗き込むとそこは池のある和風庭園。その向こうに登録有形文化財の茶房座敷(大正初期)などがあり、そこで食事やお茶をいただくことができます。
池の飛び石をぴょんぴょん渡りながらのアプローチが素敵です。お客さんはお庭を眺めているので、注目されてちょっと恥ずかしいんですけどね。縁側には猫も座っています。
道はだんだん坂道になり、側溝の水は走るように流れています。門の脇に洗い場が残っていて、こんなしつらえが私は好きです。
やがて、伊勢街道との分岐に差し掛かりました。
古い道標が立っています。伊勢街道はここで初めて山越えに入ります。
伊勢街道が大和川を渡るところには、伊勢辻橋が架かっています。重量感がありつつ細やかさも感じさせる装飾は昭和10〜20年代ではないでしょうか。あくまで印象ですが。
再び参道に戻ります。左手に今度は白髭神社が見えます。白髭神社は猿田彦神をまつり、やはり伊勢とのつながりを感じます。白髭神社は渡来人との関係も言われています。
参道は川の流れに合わせてほぼ直角に左折するのですが、左折せずまっすぐ行くと、天神山のふもとにある與喜(よき)天満神社に至ります。初瀬の地主神であった滝蔵権現が天神に社地を譲ったという伝承があります。聖地として様々な信仰が重層する場であることが分かります。
参道が曲がると草餅などを売る土産物屋が増え、ゴールが近いことを感じさせます。
ふと目に入った高い石垣をもつ蔵。
長谷寺が見えてきました(右上山中が本堂)。
ずっとお寺が視界に入らず歩いてきて、角を曲がると上空にぱっと見えるというのがいいです。平安時代の人がここまで来たときの喜びは相当なものと思います。
上りの最後には、有名な399段の登楼があります。
登り切ると本堂(右)、鐘楼(左)があります。
本堂にある本尊十一面観世音菩薩立像(観音様)はたいそう大きなものでした。
本堂のすぐ前には礼堂があり、舞台が張り出しています。
ここからはさっき登ってきた参道と境内、周囲の山並みが見渡せます。
長谷寺はなぜこの場所なのだろうと考えて、答えは出ませんが、大和川を遡った奥まったところというのが、鍵なのかななどと考えていました。
舞台は、とても気分の良い場所です。
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