« 博覧会跡の岡崎公園(京都) | トップページ | 初瀬街道の近代−大和朝倉〜長谷寺門前 »

2008年10月16日 (木)

初瀬街道の近代−桜井

081012sakurai1
以前、「初瀬街道の近代」として白山町(今は津市)の榊原温泉口駅から大三駅まで歩いたり、初瀬街道の宿場町・名張の町を歩いたりしましたが、今回は近鉄大阪線・桜井駅から街道の目的地である長谷寺まで約7kmの道を歩きました。(なお初瀬街道は伊勢街道でもあります)長谷寺に行くだけなら近鉄大阪線・長谷寺駅で降りれば近いのですが、旧街道歩きが主なので。

近鉄からJR線を越えて南側に出ると、すぐにこの洋館の離れらしきものが。
非常に状態はいいのですが、スタイルから見ると古そう。
後で気付いたのですが、ぷにょさんも取り上げておられます

081012sakurai2
ポーチのゆるやかな曲線がいいです。
窓辺を飾ったりされていましたが、どう使われているのでしょう。

081012sakurai3
すぐに本町通商店街の入り口があります。この通りが初瀬街道です。
初瀬街道=伊勢街道は、もともと奈良から山辺の道を南下して三輪の山裾を巻いていきますので桜井は通っていませんでした。三輪の方が賑わっていたようです。桜井は江戸時代、津藩領の宿場町でした。桜井の発展には明治26年の大阪鉄道開通が大きかったようです。山と都市を結ぶ桜井は木材の集散地として発展しました。また大阪方面から来る人の長谷寺の玄関口ともなりました。

081012sakurai4
商店街を歩きながらふと横を覗き込むと古い銀行らしい側面が。表はトタンで覆われているので、見過ごしそうです。こちらもぷにょさんが取り上げておられます

081012sakurai5
軒蛇腹は植物風の凝った模様の下に歯形もあり。

081012sakurai6
窓には木製の格子がはまっています。
ここにもデザインが施されています。
雰囲気的に大正時代でしょうか。

昼時でもあり、斜め向かいのお好み焼き・焼きそばの「ときわ」さんでブタ玉を食べながら、若い2代目ご主人に聞き込みしました。この銀行は20年ほど前から閉まったままで、倉庫になっているそうです。「最初は聞いたこともないような名前の銀行で、何度か名前が変わって、最終的には京都相互銀行だった」とのことです。京都相互銀行は、昭和産業無尽→昭和産業相互銀行→1964年に京都相互銀行と商号変更しているらしいので、その関係か別の銀行か。

30年ほど前までは、宇陀・榛原方面からのお客さんが多く、本町通は土日は肩をぶつけ合うぐらいの賑わいだったこと、築地のルーツになったとも言われる歴史ある魚市場があり、クジラの解体ショーが行われていたことなど、貴重なお話を伺えました。こんな内陸で魚市場というのに驚きます。

081012sakurai7
今はところどころ空き地もあります。
ボーリングのピンも寂しげです。

081012sakurai8
商店街の途中では中央通商店街の道がクランク状に交差し、このあたりが賑わいの中心だったと思われます。この道は南の多武峰に続いています(写真は北向き)。

081012sakurai9
このように広く街道に面して構える古い店もあります。

081012sakurai10
アーケードが切れてからは、昔ながらの街並みが増えます。
こちらは山本五平薬局。雨樋はふつう両端にあるように思うのですが、この店は中央に立派な銅の雨樋が鎮座しています。看板代わりなのかも。

081012sakurai11
「県下で一番古い 創業1845年 松田タンス店」という看板。江戸時代ですね。残念ながら閉まっているようです。木材の町らしい業種です。

081012sakurai12
貯水槽などもちょくちょく見られました。
町を歩いていても車などは通らず、スーパーカブが一台通ったぐらい。
心おきなく町歩きを楽しめます。町としてはもっと賑わってほしいでしょうが。

081012sakurai13
花模様の入った鉄の手すり。なかなかいいです。
脇道にも街並みは続き、際限なく吸い込まれそうなので、寄り道したい気持ちを抑えてまっすぐ歩きました。(でも改めて桜井の町を見に来よう)

081012sakurai14
街並みがとぎれるところに現役の製材屋さんがありました。
「米松 梁(平角)専門」の文字が見え、専門分化が進んでいたようです。

081012sakurai15
ここで交通量の多い国道165号と交差します。
国道には城山橋が架かっています。欄干をハシゴのような鉄パイプが串刺しにしていたり、親柱は円筒型にスリットが入っていたり、面白い形の橋です。昭和初期ぐらいじゃないでしょうか。

081012sakurai16
国道165号との交差点は、宇陀が辻と呼ばれて、宇陀方面に通じる道が分かれています。途中に舒明天皇陵があり、右の石柱には舒明天皇御陵道と書かれているようです。
真ん中の立派な石碑は、碑文が漢文調で難しいのですが、武村彌七という人が、長年、粟原山の入会権でもめてきた集落間の調停を行った記念の明治36年の記念碑のようです。試しに「武村彌七」で検索してみたら、博徒として名前が挙がっていました。古き時代の情景が浮かびます。

ここまでで行程の3分の1ぐらいでしょうか。
楽しみながらあっという間です。

|

« 博覧会跡の岡崎公園(京都) | トップページ | 初瀬街道の近代−大和朝倉〜長谷寺門前 »

日常旅行(奈良)」カテゴリの記事

コメント

桜井、この町も通過するだけでしたが
国道から見える町並みの奥に何やらの存在予感が
しておりましたが、このような風景があったとは
知りませんでしたわ!♪

投稿: 路爺 | 2009年8月13日 (木) 21:25

路爺さま
桜井もいい街です。
やはり昔栄えていて、今は・・・という街が面白いです(といってしまっては失礼か)。
奥行きがあります。

投稿: びんみん | 2009年8月13日 (木) 23:48

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 初瀬街道の近代−桜井:

« 博覧会跡の岡崎公園(京都) | トップページ | 初瀬街道の近代−大和朝倉〜長谷寺門前 »